木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

地の果ての獄

ゴールデンカムイが実写映画も含めて好評なので、色々関連書籍が出てますね。おかげで関東でもアイヌ関係の書籍が手に入れやすくなったのは有難いのですが、同じく北海道を舞台にした和風ウエスタンということで地の果ての獄にも手を出す人はいないかな?

「地の果ての獄」角川からも文庫が出ているのだけれど、私はちくまのシンプルな装丁の方が好き。

文春からは電子書籍も出てますね。本の収納場所に悩んでいる人には、こちらの方が有難いのかな?

山田風太郎にハズレなし!」で、特に明治ものは傑作揃いなのだけど、いかんせん場所を取りますものね。

北海道・月形の樺戸集治監に看守として着任した薩摩出身の若者、有馬四郎助が主人公なのだけど、どちらかというと主人公というより狂言回し的な役割ですね。

山田風太郎の明治ものは、連作短編集だと思って読んでいたら、最後まで読むと短編集ではなく、一つの大きな物語を一章ずつ語っていただけだったと気づくパターンが多いけれど、これもその一つ。

「明治十手架」の主人公、原胤昭が有馬四郎助に影響を与えた教悔師として出てきますね。

そのせいか、「雪は全ての罪を覆いつくす」で雪の白さと北海道の厳しい自然に救われたのだろう、と思う人間模様の物語ですね。

ゴールデンカムイ

映画「ゴールデンカムイ」行ってきました。いきなり二百三高地から始まっているのが良かったですね。
原作をよく理解している人が製作すると、限られた上映時間の中で、原作を知らない人にも「面白い」と言わせるには、どう原作を取捨選択するかが良く分かっている。
梅ちゃんが出てくるのが映画終盤で、冒頭からいきなりロシア兵との殺し合いですものね。
双方、国家の為にバタバタと兵士が消耗品として死んでいく姿が映し出されると、鶴見中尉の
「父を亡くした子供、息子を亡くした老親、夫を亡くした妻達に恒久的に仕事を与えて、安定した生活を送らせる。それが死んでいった戦友たちへのせめてもの餞である」
 という言葉が第七師団の兵士達にどれほど魅力的に響くか説得力が増しますものね。
(与えようとしている恒久的な仕事は芥子栽培ですけどね。まあ、確かにあれ荒地でも育つ換金作物よね。戦火と旱魃に苦しむアフガニスタンで栽培が広がった理由がそれだし)
 北海道を舞台にした三つ巴の黄金争奪戦。あれ中央から見たら、どれも「まつろわぬもの」なのですよね。
日露戦争の生き残りの杉本とアイヌアシリパさんだけでなく、新撰組の生き残りである土方、永倉組も、中央に反旗を翻して北海道を北方防衛の拠点として自治を認めさせようとする第七師団も、全て「まつろわぬもの」で、中央に大人しく隷属していない。
 中央から見たら「互いに争いあって、共倒れしてしまえ」といったところでしょうし、鶴見中尉は、そういう中央からの視点も理解して自分達のやることを邪魔されないよう上手く立ち回ってますね。
 鶴見中尉が越後出身であるところもきいてますよね。どんなに優秀でも、官軍をあれだけ苦しめた長岡藩がある越後人が明治の軍隊で出世できる筈がないのよ。情報将校を選んでいるあたり、鶴見中尉優秀ですよね。
 映画の終盤で、まだ登場していない原作の人物達が映っていたけど、原作最後まで映画化して欲しいと思っている人多そうね。しかし、そうなるとロシアロケは出来る筈がないから大陸編も北海道で撮ることになるのね。
 まあ原作にアレキサンドル二世暗殺がある話をロシアで撮影できる筈がないのだけれど。
 個人的には館さんが
「男の子は、いつまでたっても刀を振り回すのが好きだろう?」
 と大立ち回りをしているのが良かったですね。館さん、昔から土方歳三を演じたかったようだし、年齢からいってゴールデンカムイの世界でなければ土方歳三を演じるのは無理ですものね。
 函館で戦死したことにされて網走刑務所に30年間閉じ込められていた土方歳三。そりゃあ、館さんも演じがいがあるでしょうね。

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聞き書き 関東大震災

関東大震災から100年で出版されたのだろうけど、今あらためて読む価値はあるなあ。

谷根千」の関東大震災特集号、運が良ければ神保町辺りで見つかることもあるだろうけど、

地域雑誌は古本屋にもあまり出回らないから、こうして書籍で読めるのは有り難いですよね。

 

それにしても森さん達いい仕事したなあ。関東大震災の体験者(ということは、東京で震災に遭って生き延びた人々ということですよね)から直接お聞きした震災当時の状況って今では聞くことは出来ないもの。

森さん達が聞き書きした当時も高齢者だったけれど、震災から百年経ったら鬼籍に入っている人達が大半ですものね。

 

この本、東京だけでなく被害の大きかった神奈川の状況についても触れられていて。神奈川、倒壊、火災だけでなく津波もあったから皇族まで亡くなっているのですよね。

まあ神奈川は鎌倉、小田原を中心に貴人の別邸があったから不思議ではないのですが。9月1日なら別邸に静養に来ていた人も多かっただろうし。

 

不忍池と上野公園があったことの意味。井戸がある、という水ネットワークの大切さ。

 

「今までの災害に学ぶこと」という章で「正しく怖がり適切に備えるために」と東京大学地震研究所の所長を務めた平田名誉教授のお話を聞き書きしてるのも有り難いですよねえ。

 相変わらず、森さんフットワーク軽い。そしてインタビューする人を選ぶ目の確かさよ。ちゃんとした情報を教えてくれる人を紹介して貰える人脈の凄さもあるけれど、森さんが「この人の話を聞きたい!」と思って聞き書きした人にまずハズレがないものねえ。

 

 私、ペシャワール会のことは緑化の成功で有名になる前から知っていたのですが、中村先生を知ったのって森さんが

「今どきの日本人には珍しい明治の男のような気骨のある目をしている」

 と中村先生に会った時の印象を書いていたからで。森さんが、そう書く人ってどんな人なのかな?と思って中村先生とペシャワール会について調べたのですよね。

 

 それにしても森さんがまとめてくれた地震についての13項、勉強になるなあ。新旧耐震構造の違いって建築業界の人にとっては常識だろうけど、他の業界の人にとってはそうではないですものね。

 能登の震災でコンクリート造りの建物が倒れたことに驚いている人達は多かったですものね。

 

いもうと物語

埼玉のトンデモ条例の廃案にされる前に、県議団の団長が

「留守番は虐待です」

 と発言していたのを見て、そういえば氷室冴子の「いもうと物語」で、主人公がTVのニュースで

「鍵っ子は、可哀想」

 とキャスターが発言しているのを見て

「何、おかしなことを言ってるの。お母さんが出面さんでいないから、お母さんがいたら出来ないことが出来るんじゃない。東京って変だ」

 と、思う場面があったな、と思いだしました。

 

「いもうと物語」というのは、氷室冴子の半自伝で、昭和40年代の北海道を舞台に小学生の女の子を主人公にした連作短編集です。

主人公のお母さんは、普段は専業主婦だけど農家の繁忙期になると「出面さん」という農家の手伝い人として働きに出るのです。

その間は、子供だけの留守番となるので、カルピスを濃く入れる的な「お母さんがいたら出来ないこと」が出来るし、忙しいお母さんは、ちゃんとしていれば口喧しいことは言わないので、主人公は「出面さん楽しい」と思ってる。

 

だから「親は常に子供の側にいなきゃいけない」思想が滲む「鍵っ子は可哀想」発言に、「はあ?」と思って「東京って変!」という感想が出てくるのですね。

 

埼玉県議団の発想って、昭和40年代の北海道より遅れているのですねえ。

まあ、氷室さんは「私は叔母バカである」と単身赴任中のお姉さんに代わって、乳児期に面倒を見ていた姪御さんに対しては理性が飛ぶというエッセイも残してますからね。

 

 氷室さんが大学生の頃、結婚していたお姉さんが仕事の都合で別居婚となって

「内地なら『仕事か家庭かどちらか選べ』という話になるだろうが、私達にその発想はなかった。姉が仕事を続けたいというなら、姉は仕事を続けるべきだし、私達は姉が仕事を続けられるようサポートするべきなのだ。

必然的にまだ乳児の姪の面倒は、大学生で時間の余裕がある私と母の仕事となった。

姉と義兄は平日は、それぞれの赴任先で過ごし、週末になると我が子に会う為に帰ってきた。母と私が育児に疲れたなと思う頃になると姉夫婦が帰って来るという、なかなか良いサイクルだった。

そういうわけで、一番手のかかる時期に面倒を見た姪に対して、私は思い入れが強い。私が家を離れた後に生まれた甥に対しては理性が働くが、姪に対しては理性が飛ぶのだ」

 というエッセイでして。氷室さんのお姉さんが単身赴任していた時期って、氷室さんが大学生の頃だから昭和50年代なのですね。今からだと50年近く前ですね。あの県議団なら、ご本人達は納得していても「こういう育てられ方は虐待」と騒ぎそう。(そして「はあ?何言ってるの?じゃあ何してくれるの?」と呆れられる)

 

埼玉県議団、自分達の感覚が世の中と大幅にズレていることを自覚出来るようになって良かったですね。

 

 

原爆 広島を復興させた人々

東日本震災で、惨状の大きさに手が回り切れず体育館にもののように安置された人々を「ご遺体」として荼毘する為に、全力を尽くした人々の姿を記したように、石井光太さんは「自分の力では、どうにもならないと分かっていることに立ち向かう勇気ある人々」の姿を記すのが好きですよね。

天災にしろ戦災にしろ逃れようのない大きな悲劇が街を襲った後、遺された人々がいかに悲劇と闘ったのか。
石井さんにとっては、そういう人々の姿が記録し伝えるべき価値のあるものなのでしょうね。

泥の中の蓮の花を書き残すことを自分の仕事をしているのでしょうね。

 

「広島の原爆がどんな恐ろしいものであったかを、世界中の、そして後世の人に分からせるのは誰かがやらなければならない仕事である」
と、原爆症で身体がどんどん蝕まれても被爆資料の収集を止めず、焦土から原爆の痕跡を掘り起こしていった原爆資料館の初代館長 長岡省吾。

 

被爆時に自宅にいた為に死を免れ、生き残った同僚達と炎に飲み込まれた市役所の代わりに焼け残っていた職業安定所を臨時の防災拠点とし、配給課長として大勢の市民を飢餓から救い、後に市長として広島の復興に尽力したことから「原爆市長」と呼ばれた浜井信三。

 

長岡が収集していた被爆資料を目にした浜井が、被爆の実像を後世に伝える為に資料館の設立を決意し、世界に向けて平和を発信させる拠点の建設を目指した時、この一大プロジェクトに呼応し、平和記念公園や資料館の設計を手掛けた建築家 丹下健三

 

損傷が激しく取り壊すべきだという声もあった原爆ドームを悲劇の象徴として残す為に全国を駆け回って保存運動に尽力した市職員 高橋昭博

 

この四人を中心にして廃墟になった広島に集まり「広島を必ず焦土から平和都市として生まれ変わらせる」 と復興に心血を注いだ人々の足跡を記しています。


 彼らは、何故自らの命も顧みずに焼け野原に向かったのか?
 どんな思いを抱いて平和記念公園や資料館をつくったのか?
 ヒロシマに託した願いとは何だったのか?


 ウクライナ侵攻以降、原爆資料館は訪れる外国人観光客が列をなし、来館者が日本人より外国人の方が多い日々が続くと聞きます。
 彼らは何故資料館を訪れようと思ったのか?
 資料館を作った人々と資料館を訪れようと思った人々。そのどちらの側も思う願いは同じかもしれませんね。

原爆 広島を復興させた人びと

原爆 広島を復興させた人びと

 

 

スポットライト 世紀のスクープ

ジャニーズ事務所の性被害の記事で一番引っかかったのは取材した記者が海外の記者達から言われた

「どうして日本のマスコミは、この件について報道しなかったの?日本人は、権力者の性犯罪について甘いんじゃないか?」

 という一言で。

 

山下達郎さんが叩かれるのは、自分で喧嘩売ってるのだから自業自得としても、そっちを叩くのに血道を上げるより、たぶん今まで世の中の認識から漏れていた男性性被害者へのケアの不足や、どうしてBBCが取り上げてるまで日本のメディアは一部を除いて取り上げなかったのか?ということをクローズアップすべきなのじゃないかなあ。

 

ジャニーズの件、どうしても聖職者が少年達を性加害していた事件を連想するけど、あの件をスクープしボストン・グローブ紙の記者達は記事にするまでは潰されることを恐れて慎重だったけれど、記事にすれば被害者達に世の中は関心を持ってくれる。他社の記者も、この件を報道してくれると信じていたのでしょうね。

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生きる- LIVING

 黒澤明の「生きる」を、カズオイシグロ脚本でリメイクしたものですが、違和感仕事しろと思うくらいイギリス映画でしたね。

 

出たしから、「ああ、カズオイシグロの世界だ」という感じなのですが、カズオイシグロ、オリジナルの「生きる」のこと、どれだけ好きなの。

画面にほとばしるオリジナルへの愛とリスペクト。

ほとばしると言っても映画自体はイギリス映画らしい抑制がきいてまして。この静謐さがあるから

「紳士になりたかったのに、いつのまにかゾンビになっていた」

 と、いう言葉に説得力があるのですよね。

 

 そして父と息子というのは面倒いよねえ。母と娘も面倒いけど、父と息子の面倒くささは、それとは違ったものはあるよね。

(息子が「父は自分のことを知っていたのだろうか?」と聞く場面で、今年の大河の今川氏真を連想してしまいましたよ。

 どちらの息子も聞くべきなのに聞かないし。父親の方も言えばいいのに言わないし)

 

志村喬

「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 褪せぬ間に」

 と、「ゴンドラの歌」を歌うのに対し、ビル・ナイが歌うのがスコットランド民謡の「ナナカマドの木」を歌うのが良いですよねえ。

「ああナナカマドの木よ、いつも懐かしく思い出す、幼き日の思い出に、優しく寄り添う木」

 舞台がロンドン近郊だから、イングランドに暮らすスコットランドの末裔が、亡き妻もスコットランドの血を引いていたと言うのですよね。

 それだけで、彼がかつて「生きていた」時代があったことを、初めからゾンビでなかったことが分かる。

 

 ゾンビだった人が、人として死んだ。死を前にして人に戻って死んだ。

 素晴らしいことをしたことの報酬は、それをやり遂げたのが自分だということだけだ。

 どちらの映画も、その喜びを示す歌声で終わりましたね。

ikiru-living-movie.jp