木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

橋本治さんが亡くなりました。

橋本治さんが亡くなったそうで。すごく熱心なファンだというわけではなかったけれど、亡くなったことを知って

「春ってば曙よ!」

 と桃尻語訳枕草子をすぐさま思い浮かべる程度にはショックを受けてます。70歳というのは今の時代では惜しまれていい歳ですよね。

 

こちらで橋本さんへの追悼ツイートがまとめられておりまして。


【訃報】作家の橋本治氏逝去~反響と追悼

 

 

これらを読むだけで、それぞれがどれだけ橋本治の書いたものに救われていたのか。

橋本治の言葉に影響を受けたのかが伝わってくるのだけれど、その中で特に美しいと思ったのは、ただ一度だけ橋本治さんと会った男の人の話。

ここからはそのツイート群を引用するけれど、これだけで一遍の小説のように美しい。

 

橋本治が逝ったなんて本当に、本当に信じられない。 こんな日がいつか来るとは思っていたけれど、誰かにとって大袈裟に聞こえたとしても、自分にとって今、世界の大部分が失われた。
過去にも未来にも、代わることなどできないような人が、この世を去ってしまった

 

橋本治 がこの世にいない生まれて初めての夜に、自分が橋本治に会った時の話をしようと思う。
当時あった小学館ヤングサンデー主催で「橋本治と耐久!!72時間サマーセミナー」というのが1992-94年の3年間行われていて、93年に参加した。

僕は中学校の時に一緒にいるだけでとにかく楽しいとても仲のいい友人ができたんだけど、ある時距離を置かれてショックで登校拒否にまでなってしまった時期があった。
そのことを、それからも訳がわからないまま悩み続けていた。

その後高校生になってから、偶然人の家の本棚で橋本治の「恋愛論」を勝手に読んだ時、泣きたくなるような衝撃を感じた。
橋本治の同級生の男の子に対する恋愛話は、まるで自分自身の話のように思えた。初めて、自分は彼の事が好きだったんだって、全部分かった。

そしてとにかく激しいくらいに『愛されたい』って思うようになった。そのあと今度は、なんでこんなことばかり考えてるんだろう、って苦しくて仕方がなくなった。

その2年後、読んでいたヤンサンのセミナーに、それ以来自分にとって特別な存在になった橋本治が来ることを知って、絶対行かなくちゃいけないと思って思いの丈を書きつけた文を添えて編集部に応募したら、40人の中に選ばれた。

長野県の2階建ての旅館みたいなところでセミナーはあって、橋本治の他に三代目魚武濱田成夫とか、やまだないとも参加していた。
橋本治は原稿でとにかく忙しく、司会の編集の人が
『先生を72時間も拘束しようなんてことは、ありえないくらい難しいことだから大事にしてほしい』
と言った。

その通りに度々自分の部屋に引っ込んでしまってずっと話をしてくれるわけじゃなかった。 でも僕は橋本治に会った時、絶対に聞きたいことがあった。
なんで彼に距離を置かれたんだろう、なんでその後、誰かに愛されたいと思ったんだろう、って。

唯一セミナー中に気にかけてくれた年上の、結婚直前に恋人を事故で亡くしたという大変な経歴の女性にそのことを話したら
『勇気を出して行って来なよ!』
と言ってくれた。

その時は最終日の朝で、ずっと籠もっていた橋本治が、偶然庭に出て、池の鯉をぼんやり見ていた。
たぶん最後のチャンスで、僕は心臓が止まりそうになりながら下駄を履いて走っていって、すいません、と声をかけた。

自分のことをしどろもどろに話すと
「うん、読んだよ」
と言われた。編集部に送った手紙も読んでくれていた。そして
「あの、僕はどうして誰かに愛されたいなんて思うようになったんでしょうか」
と聞いた。

そうしたら橋本治はほとんど考えもしないで、池を見ながら、
「それはねー、君がさ、『未来がほしい】って思ったからなんだよ』
と教えてくれたのだった。

僕はその時、今に続く未来を橋本治にもらったんだと思う。止まっていた時間が、初めてあの時に動き始めたんだって、今でもずっと思ってる。

それが、橋本治とのたった一度きりの出会いだった。 これまでそのことを忘れたことはなかったし、これからも、絶対に忘れないと思う。
誰にもわかってくれなくても、橋本治は、僕にとって全ての大人の中で最も大事な人だったんです。

恋愛論 完全版 (文庫ぎんが堂)

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  • 作者:橋本治
  • 発売日: 2014/07/10
  • メディア: 文庫
 

やまだないとさんが

あれ。 この人のこと覚えてるよ。いや、この光景覚えてる。朝起きたて外を見たら、橋本治さんと男の子がふたりで話してた。
窓の向こうだからすごく静かで、綺麗な光景でした。 

 と、ツイートされていたけれど、ツイート群を読んだだけでなんて綺麗な光景だろう、と思ったのだから、実際に目にした人は印象に残るでしょうね。

この方以外にも橋本さんへの追悼ツイートは読んでるだけで心洗われるような美しいツイートが多いですよね。

これから引用するたらればさんのツイートなんて、枕草子への愛と橋本さんへの愛が重なりあって凄く好き。

橋本治さんがお亡くなりになったということの現実感が、まだちょっと掴めていません。
少なくとも古典文学作品の現代人への普及という面に関しては、その功績は計り知れません。橋本さんが
『春って、あけぼのよ!』
と書いたことで築かれた文学的価値は、本当にもう計り知れないとしか言いようがない。

ただ個人的に言えば、橋本治さんといえば『ヤングサンデー』で連載していた『貧乏は正しい!』なんだよな。。。
学生の頃読んだ、隔週刊のマンガ誌に差し挟まれた
『きみたちはもっと怒っていいんだぞ、世の中は案外バカばっかりだ』
という内容のコラム群は、初めて触れた思想書だった気がします。

 

枕草子』は、言ってみればこの世界への讃美歌です。
春の夜明けはすばらしい、夏は夜が最高だ、秋は夕暮れ、冬は早朝に人々が働くさまが愛おしい。世界は祝福に満ちている。ハレルヤ。
少なくともあの日本文学を代表する名文中の名文である第一段は、『この世界はすばらしい』と一貫して描写している。

あの約400字に込められた文脈がいまも語り継がれるのは、圧倒的に身近だということがすごく大切なんですよね。
どんなに辛くとも苦しくとも、老若男女身分階級境遇の境なく、春夏秋冬朝昼晩は訪れる。
それを祝福しよう、と。
そして、そういう瞬間はあなたにもあったでしょう、と桃尻語訳は語るのです。

教室で、学食で、カフェで、布団の中で、リビングで、道端で、あなたも、きみも、このわたしも、いつかふと
『ああ、春の明け方はいいな』
と言祝ぐことがあったんじゃないかと、その瞬間は永遠に値するだろうと、それこそを清少納言は語りかけたんだと、桃尻語訳は教えてくれているんですね。

これが、この圧倒的な身近さ、寄り添い加減と祝福こそが、『枕草子』の力であり、当代随一の文学者が愛し続けた所以なのではないでしょうか。
でしょ、そうだよねと、あちらで清少納言先輩にはんなりと詰め寄る藤原定家島崎藤村樋口一葉の列に、今ごろ橋本治さんも並んでいるのだとおもいます。」 

貧乏は正しい!(1)(小学館文庫)

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桃尻語訳 枕草子〈上〉 (河出文庫)

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  • 作者:橋本 治
  • 発売日: 1998/04/01
  • メディア: 文庫
 

こういう美しい追悼ツイートを書かせる人が橋本さんだったのだなあ、と思うと

かつて、橋本治は、自分にはひとりで五千人分の働きをするほどの読者が数人はいるから、たとえ多数の読者にとっては読みにくいものとなっても、その数人を満足させ得る高水準を落とすわけにはいかないと、著者へ語った。

 という橋本さんの読み手への信頼はきちんと報われたのだなあ、と思いますね。