木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

この世界のさらにいくつもの片隅に

同じ話をまったく違う映画にして見せてくれたのは単純に凄いなと思いました。いやあ3時間早かったです。

 

ikutsumono-katasumini.jp

この世界の片隅に」では、潔くバッサリ切った「この物語でがリンさんはどういう位置づけにある人なのか?」を丁寧に書いていましたね。

これだけ丁寧にすずさんの感情を追っていったら3時間いりますよね。

 

この世界の片隅に」の公開時にあった

「嫁の立場の弱いあの時代に、すずさんみたいに婚家で大事にされているお嫁さんなんているの?」

 

そりゃ事情を知っている径子さんが嫁いだ直後のすずさんにすげなく

「広島に帰ったら?」

というし、北條の両親がすずさんを大事にするわ。

 

子供がなかなか授からないことを悩むすずさんとリンさんの会話がお互いの社会階層を違いを明確にして、ちょっとせつなかったりして。

 

あの時代、軍で働いているということは「固いお勤めのいい縁談先」だし、すずさんのおうちはそれを素直に喜べる釣り合ったお相手なんですよね。

 

で、跡継ぎを生むのは嫁の義務だから跡継ぎが生まれるまで子供を産むというすずさんにリンさんが

「そうね。女の子なら困った時売れるし」

と応えて

「リンさんはおかしなことを言う」

 とすずさんに返されていましたが、あの軽口は冗談ではなくてリンさんの置かれた社会環境からすると当たり前の発想でしょうねえ。

(リンさん自身が「困った時に売られた子供」ですし。だから「売られた子供にも居場所はあるのよ」という言葉が出るわけだし)

 

戦前の芸者さんの回顧録(それも「芸は売っても身体は売らぬ」系ではなく地方の場末の温泉芸者の聞き語りだと)

「身体を売ることよりもお腹が空いていることの方が辛かった」

「慰みものになった悔しさよりも、これで弟の薬代が手に入れられる、という嬉しさの方が大きかった」

 なんていう言葉が続いて、戦前の格差の大きさ、えげつなさを偲ばせますね。(なんだかんだ言っても社会保障制度のあることの意義って大きいよね、としみじみ)

 

今回は、「この世界の片隅に」よりも尺の余裕があるせいか、入市被爆の影響で苦しむ人や原爆投下後の中国地方を襲った枕崎台風が与えた被害の大きさもしっかり描写されていましたね。

 

そしてすずさん目線が強いせいか、戦前の中島本町ってほんと賑やかな繁華街だったのだな、と。原爆ドームの隣に実家があった方が

「爆心地は誰も人が住んでいない広い公園なんかじゃない。広島市随一の繁華街で、あの日も大勢の人がいつもと同じ日常を過ごしていた」

 と、語っていたなあ、と。大勢の人が行き交う賑やかな繁華街が描写されていたから、戦後焼け野原となった広島で、すずさんが

「◯◯さん!◯◯さんじゃろう!」

 と何人にも人違いされる姿が際立ちますね。

 

そして、リンさんやすずさんが紅をさす場面で、紅をさす指が薬指であったことに、よっしゃー!\( ˆoˆ )/と。 

 

そうそう、この場面では薬指ではないと色っぽさがでないのよ。中指でも人差し指でも小指でもダメなのよ。薬指で紅をさすから色っぽいんですよね。

今回もエンディングでクラウドファンディングで資金援助した人達の名前があがっていたけれど、たとえ自分の名前が見つけられなくてもクラウドファンティングにのった人達は嬉しかったでしょうねえ。

「いいことをした報酬は、ただ自分がそのことをしたということだけだ」

 という言葉が似つかわしい画面です。もっとも資金援助した人達は自分の名前を見つけることよりも大勢の人達の名前の下で流されていた映画本編では描かれなかったリンさんの物語の方に気を取られているかもしれませんが。

 

エンドロールで「さらにいくつもの片隅に」というタイトルを回収しましたね。