木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

教育と愛国

足立区の子供達への支援が「素晴らしい!」「真っ当過ぎる」と話題になっていまして。

togetter.com

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元々、給食での食育を通して、子供達への栄養教育(アメリカの低所得者層の食生活とその結果としての過剰な肥満と成人病を見ると、これがどれだけ大切なことか分かる)と、その父兄の子供を通しての健康改善策で話題の区だったのですが、それを給食以外の分野でも進めているようですね。

 

足立区の取り組みを見ていると、政治家が決まり文句のように口にする「子供の為に!」「この国の未来の為に!」という言葉は、その人がどんな行動を取っているのか、どんな政策をとっているのかと照らし合わせて判断しないと拙いですよねえ。

 

虐待サバイバーの「家庭は僕にとって地獄でした。『こども家庭庁』という名称は、僕のような存在の子供達には、自分とは縁のないもの。自分を助けてくれないものと映ってしまう」という言葉を受けて、「こども庁」に名称したものを

「国家や家庭、親子の心のつながりを『子どもの権利』を拡大解釈して断絶、蝕んでいる実態です」

 と主張する人達に気兼ねして「こども家庭庁」に名称変更させた国ですから。同じ「子供の為に」という言葉を使ってもやっていることがこれほど違う。

 この映画、この国の教育がどれほど政治の圧力に晒され続けてきたのか、というドキュメンタリーなのですが、元首相暗殺事件以来再演する映画館も出てきますね。

 まあ、そりゃ再演する映画館も出てきますわな。自分の読んでいない教科書、内容を確認していない授業について

「私の知り合いの尊敬する方から、協力してくれませんか?」

 という依頼があったからと、大量の抗議ハガキを出して、しかも自分が出したことを覚えていない政治家の様子が映されているのですもの。これ、裏読みするなという方が無理でしょう。依頼した人が必ずしも統一教会とは限らないとは思いますけどね。

 政治家と宗教団体との関わりの深さが、今まで知らなかった人にも露わになった今、単純にそう思う人も出てくるのじゃないかなあ。宗教右派、ぐちゃぐちゃ面倒に絡み合っているので、そんな単純なものでないとは思いますけどね。

 

 個人的好みで言えば、撮影者の視点がもう少しフラットな方が好みなのだけど、撮影者の視点の偏りよりも出てきた政治家達の軽さと無責任さに全て持っていかれました。

 だって政治家(とその支援団体)が気に入らない教科書を採択した学校や、気に食わない授業を「問題のある授業だ」と吊し上げられた先生が大迷惑してるのよ。

 あれだけ大量の抗議ハガキを送りつけておいて、内容を確認していないって一体何?そんなアホな人達が

「これは日本の伝統にとって問題だ」

 とするから、道徳の教科書に出てきたお店をパン屋から和菓子屋に変えさせられたりするのよ。たぶん「郷土愛を育む」あたりがテーマなのだろうけど、「子供がおじいさんと一緒にお散歩に行きました。お散歩の途中、パン屋さんに寄りました。パン屋さんは美味しいパンを作る為に一生懸命働いています」が教科書検定ではねられて却下。

 知らなかったけれど、教科書検定って、検定中に「ここ訂正の必要あり」と赤ペンされても「何故、そういう指摘がされたのか?」

の理由は教えてもらえないのですね。指摘の理由を説明すると検閲に引っかかるということはあるのでしょうけど、ともかく教えてもらえない。

 指摘を受けた出版社側が「何故、初稿で出したものが検定に通らなかったのか?」の理由を考えて、訂正版を作成しないといけないのです。だから出版社側にも「何故、パン屋さんだと検定ではねられて、和菓子屋さんだと検定を通ったのか?」の理由が判らないのですよ。第二稿が通った理由も教えてもらえないから。

 報道を聞いたパン屋さんが

「何で、子供が立ち寄るお店がパン屋じゃダメなの?来てくれるお客さん達に喜んでもらえるよう頑張っているのに」

 と、腐るのも分かるわ。

 これねえ、構図で言ったら、森達也さんが「放送禁止歌」で書いた自主規制が生まれる構図とよく似てるのですよ。発信する側が「これだと通らないかもしれないから、こっちにしよう」と自粛する方向に走るという点で。

 まあ「放送禁止歌」の方はTV局側の「これ流したら視聴者が問題だと騒ぐかも」で、教科書検定の方は「この記述だと検定で引っかかるかも」で想定している対象の広さが違うのですけどね。TV局は、出版社みたいに先行投資していないし。

 教科書検定って出来上がった教科書を「この内容なら学校で利用してもいいですよ」とOKを出す為の制度だから、これに合格しないと出版社側は教科書作成の為にかかった費用が全て無駄になってしまうのですよ。

 教科書って、作成するのにお金かかるのですよね。内容に間違えがあったらいけないから。きっちり調査しないといけないし。先行投資した費用が戻ってこないとなると経営に差し支えるから、出版社側も「これは検定で引っかかるか?」という点を気にする必要がある。

 それが以前なら通っていた記述が通らないようになった。そのうえ、その厳しい検定を通った教科書を採用した学校に「何故、あんな問題のある教科書を採用したんだ」という抗議ハガキが大量に届くようになる。

 それも自分の名前で、その抗議ハガキを送ったことも覚えていないような政治家達から。そりゃ、文句をつけられてた教科書を採用した学校は、その抗議ハガキを無視するわ。

 他の学校もそうだろうけど、名門難関校なら「どの教科書が、教材として優れているか?」という視点で自校で使う教科書を選ぶから、内容も確認していないクレーマーに従わなけばいけない理由はないもの。

 

 教科書も授業も内容をきちんと確認して批判する点があれば批判すればいいし、批判された側もその批判におかしな点があれば、どんどん反論すればいい。だって学問というのはそういうものでしょ。

 批判され、議論され、精査されを繰り返して、論考を深め、磨き上げられていくものでしょ。批判を許さないのは信仰であって学問ではないでしょう。宗教だって、宗教学では批判や議論はつきものだもの。

 それをやらずに「だって、そうだと聞きました」「知り合いの尊敬する方が『問題だ』と言ってました」と、いい歳の大人が、仮にも政治家が、噂を鵜呑みにして騒ぐ小学生みたいなことをするから

「本当にそうなのか確かめたの?」「人が『そう言ってた』じゃなくて、あなたがそうするべきだと考えたの?」

 と、お母さんに聞いてもらえと思いました。政治家のやっていることが仲良しの子に引き摺られやすい小学生レベルなのだもの。

まあ小学生と違って

「私の知り合いのとても尊敬する方から、こういう運動を展開していきたいので協力してくれませんか、という依頼があったので」

 ですから、スポンサーからのお願いに断れなかったのでしょうけど。この映画に出てきた政治家達が統一教会と関係しているとは思わないけど(宗教右派との関わりはないとは言えないけれど)どちらにしろ支援者の意向が大事で「内容を確認する」という基本的なことすら行わない人達が教育に口出しして欲しくはないですね。

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