木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

いもうと物語

埼玉のトンデモ条例の廃案にされる前に、県議団の団長が

「留守番は虐待です」

 と発言していたのを見て、そういえば氷室冴子の「いもうと物語」で、主人公がTVのニュースで

「鍵っ子は、可哀想」

 とキャスターが発言しているのを見て

「何、おかしなことを言ってるの。お母さんが出面さんでいないから、お母さんがいたら出来ないことが出来るんじゃない。東京って変だ」

 と、思う場面があったな、と思いだしました。

 

「いもうと物語」というのは、氷室冴子の半自伝で、昭和40年代の北海道を舞台に小学生の女の子を主人公にした連作短編集です。

主人公のお母さんは、普段は専業主婦だけど農家の繁忙期になると「出面さん」という農家の手伝い人として働きに出るのです。

その間は、子供だけの留守番となるので、カルピスを濃く入れる的な「お母さんがいたら出来ないこと」が出来るし、忙しいお母さんは、ちゃんとしていれば口喧しいことは言わないので、主人公は「出面さん楽しい」と思ってる。

 

だから「親は常に子供の側にいなきゃいけない」思想が滲む「鍵っ子は可哀想」発言に、「はあ?」と思って「東京って変!」という感想が出てくるのですね。

 

埼玉県議団の発想って、昭和40年代の北海道より遅れているのですねえ。

まあ、氷室さんは「私は叔母バカである」と単身赴任中のお姉さんに代わって、乳児期に面倒を見ていた姪御さんに対しては理性が飛ぶというエッセイも残してますからね。

 

 氷室さんが大学生の頃、結婚していたお姉さんが仕事の都合で別居婚となって

「内地なら『仕事か家庭かどちらか選べ』という話になるだろうが、私達にその発想はなかった。姉が仕事を続けたいというなら、姉は仕事を続けるべきだし、私達は姉が仕事を続けられるようサポートするべきなのだ。

必然的にまだ乳児の姪の面倒は、大学生で時間の余裕がある私と母の仕事となった。

姉と義兄は平日は、それぞれの赴任先で過ごし、週末になると我が子に会う為に帰ってきた。母と私が育児に疲れたなと思う頃になると姉夫婦が帰って来るという、なかなか良いサイクルだった。

そういうわけで、一番手のかかる時期に面倒を見た姪に対して、私は思い入れが強い。私が家を離れた後に生まれた甥に対しては理性が働くが、姪に対しては理性が飛ぶのだ」

 というエッセイでして。氷室さんのお姉さんが単身赴任していた時期って、氷室さんが大学生の頃だから昭和50年代なのですね。今からだと50年近く前ですね。あの県議団なら、ご本人達は納得していても「こういう育てられ方は虐待」と騒ぎそう。(そして「はあ?何言ってるの?じゃあ何してくれるの?」と呆れられる)

 

埼玉県議団、自分達の感覚が世の中と大幅にズレていることを自覚出来るようになって良かったですね。