選ぶ親、選ばれる子供という構図の中で、子供に望ましい養育環境を与えるために悩みながら苦闘する養護施設関係者という構図は20世紀初頭から変わっていないんだな、とこの本を思い出したりしました。
「あしながおじさん」に比べると、この続編は影が薄い気もしますが、私はこちらも好きだな。
「あしながおじさん」では主人公ジュディの親友として、愛にあふれた家族の中で育つとはどういうことかをジュディに教えてくれたサリーが続編の主人公。
「あしながおじさん」は、ジュディ(とサリー)の大学生活の話でしたが、「続あしながおじさん」は大学卒業後、ジュディの依頼でかつて彼女が暮らした孤児院の院長に就任したサリーの奮闘と孤児院改革のお話で(もちろん主人公が若い女性なのだから恋の話もある)、書簡小説というスタイルは正編と変わりませんが、手紙の相手はあじながおじさん一人だった正編と違い、複数の相手へのお手紙となります。
経験のない若い女性が、自分より経験のあるスタッフを院長として率いていくのだから当然苦労は山のようにあるのですが、サリーはめげない!
スタッフにどんなに抵抗されようとサリーが彼女の目指す理想の孤児院の為に突き進んでいくのは、親友ジュディがかつて暮らした孤児院というのも大きい理由の一つなのでしょうね。
もし今ジュディがここで暮らしていたら、私は彼女に「あなたの子供時代を守る為に全力を尽くした」と言えるのか?
少女時代のジュディという軸を持ち、暖かな家庭で育ったことで、大人に愛されて守られて育った子供とはどういうものかをよく知っているサリーはぶれない。
これサリーのお仕事話も面白いけど、結婚に関する話も面白かったですね。話の途中から、離婚したことで家族と気まずくなったジュディとサリーの大学時代の友人が、孤児院運営を手伝ってくれることになるのですが(確か、彼女の一族で初めての離婚経験者でしたね)、サリーは
「若い女性が参考にするとしたらジュディではなく彼女の方です。ジュディはあまりにも幸せな結婚生活を送っているので、女性たちは結婚したら皆ジュディのように幸せな生活を送れると誤解してしまいます」
と書いているのですよね。
20世紀初めの話ですから大学を卒業後、いい家のお嬢さんが結婚するのは当たり前の話で彼女は互いの条件が釣り合う相手と結婚した。
ところが結婚してから気がついた。二人は意見も趣味も価値観も合うところが何一つなかったことに。
二人とも「結婚は、するもの」と思っていて「結婚相手としては悪くない」から互いを選んでいて、相手がどんな人間であるかは興味がなかったんですね。
ところが結婚したら「相手がどんな人間か?」ということは生活に大いに影響するもので、結婚後何一つ意見が一致しなかった二人はただ一つ一致する意見を見つけました。
「離婚しよう」
結婚したいから結婚して、結婚後べつに相手のことが好きだったわけではないことに気づいた。
こういうのは今でもよく聞く話だから、自分の都合で養子話を動かそうとする養父母候補に頑として譲らず子供を守る為に交渉するエピソードともども、人間のやることって20世紀初頭からあまり変化はないのだな、と思ってしまいますね。
ウェブスター面白いのだけど、若くしてお産で亡くなっているから確かこの二作しか残さなかったのですね。
近代まで、お産は命がけというのは常識ですからね。周期医療が危ないと随分前から言われているけれど、それでも世界一、二を争う妊産婦死亡率の低さを守っているあたり、日本の医療関係者の努力に頭が下がるわ。
もし夭折しなかったら、彼女はいったいどんな作品を残したのでしょうね。
- 作者: ジーンウェブスター,Jean Webster,北川悌二
- 出版社/メーカー: 偕成社
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