木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

旅ごころはリュートに乗って: 歌がみちびく中世巡礼

今年は、これを読んでいる時にこれが起こるのかと思うことが多々ありまして。(「石井光太さんの『赤ちゃんをわが子ととして育てる方を求む』を読んでいる時に特別養子縁組をした芸人が同じように特別養子を迎えたママ友と親子パーティを開きましたというブログ記事を問題視しているツウィートを見かけまして。

問題視していた人達は元虐待児であることを明かしていたから子供の権利には敏感なのでしょうね。

「子供の顔を隠さないでネットにあげてる。赤ちゃんだから、大きくなったら顔変わるから問題ないとでも思ってるの?」

「この子達は自分が物心つく前に『自分は養子である』と大声で世の中に広められてしまうわけか。特別養子には自分が知られたくないと思うことを知られないよう守られる権利もないのか。赤ちゃんに公表してしていいかどうか、尋ねられる判断できる能力なんてないよね」

「これ仲介団体は何やってるんだ。特別養子縁組を広めるためなら、こういうアピールはどんどんしろってこと?だからあの団体は信用できないのよ」

 等々書かれておりまして、普通容姿ではなく特別養子だものなあ。体を張って自分が斡旋した親子の秘密は守り通し、特別養子縁組法を成立させた菊田医師が草葉の陰で泣くぞと思いました)

 

話が逸れましてので戻しましすね。今月の古事記講座で「さくはほう くにまとまるのそうあり」という言葉とその言葉が示す二つの可能性をお聞きした頃、ちょうどこれを読んでいまして。

「人が一つにまとまる」の負の側面をたっぷり教えてくれる本を読んでいる時に、あの言葉を聞くと余計怖さが響くなあと思いました。

前作の「みんな彗星を見ていた」に引き続き、キリスト教ものですね。もっともキリシタン史からキリスト教を見つめたので、基本的には日本、スペイン、ポルトガルを中心にした前作と違って、欧州からアフリカ、中東とキリスト教世界への旅は広がっておりますが。

牛にひかれて善光寺詣り、ならぬリュートにひかれてキリスト教世界へですね。

それにしても星野さんご自身も書かれてましたけど、リュートに連れられていく旅がこいう展開になるともは思わなかったですね。

まあ、確かに西洋古楽と関わる限り、ヨーロッパの世俗権力やキリスト教の生臭い面とは無縁ではいられないのだけど、今回は十字軍の話がよく出てきますね。

 

十字軍の強盗の集団、狂信的な侵略者としての面を書いた本はわりとあるけれど(アニメにもなったアルスラーン戦記のルシタニア軍はどう考えても十字軍がモデルだし)十字軍の行軍ルートがそのまま欧州のユダヤ人虐殺ルートと重なるとは思いませんでした。

イスラム教徒とオリエント地域のキリスト教徒が受けた被害は知っていましたが、十字軍時代のユダヤ人虐殺祭はえぐいわ。

 

「神の為に神の敵であるイスラム教徒を血祭りに。その前にちょうど途中にユダヤ人の集落があったから、ここもついでに滅ぼしてしまえ」で女も子供も血祭りに。

 

木原敏江さんが

「騎士道、騎士道と讃美するけれど騎士道を詳しく知るたびに野蛮な人でなしという印象が強くなる。これが当時の欧州では賛美される騎士の姿だったのか」

と書いていたけれど騎士が紳士的に振る舞うのは自分が人間と見做している王宮の貴婦人達だけだったのでしょうね。

少年十字軍のその後も含めて、熱狂にのせられることの怖さがよく分かる。星野さん本人も本の中で書いているけど、この時代と今とが被る部分もあるのですね。

欧州でのリュートブームもこれを読むと二重の意味を考えさせられますね。