木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

半藤一利さん亡くなる。

今日は旧暦だと師走の始まりの日なのですが、そういう日に半藤さんの訃報を聞くと語り手が変わるということの意味を考えますね。(´-ω-`)

 

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半藤一利氏が文藝春秋に入社して最初に担当したのが坂口安吾で、初めて原稿取りに行ったら酒に付き合わされて帰れなかった、という話を当人から聞きましたが、あの瞬間に自分は半藤翁を介して坂口安吾と地続きにいたというのが、近代史の沼に生息する不肖の身として得難い経験だなと今にして思う

同様の経験としては、元日銀理事の緒方四十郎氏(父は元副総理の緒方竹虎氏、妻は緒方貞子氏)の話を聞いた時にも、緒方氏を介して東久邇宮稔彦佐々淳行東條英機と地続きになったような感覚を得て、なるほど語り部というのはそういう存在なのかと

語り部という存在は再生産できるものではないと思っていて、だからこそ生きているうちに聞いて書き残さねばならない。そうすれば後世に批判する(非難に非ず)ことも可能だろう。

半藤翁も『日本の一番長い日』などを通じて、語り部たちの言葉を活字に残す役割を果たし、そして自らも語り部となった

私なんぞも、あと半世紀もすれば『あの時あの人が〜』と伝承する時が来るのかもしれませんが、その時は半藤翁にあんな放言かました若気の至りをその頃の若造に得意げに語ってみたいもんだし、なんならその頃の若造に『オレも彼女欲しいっすwww』と言われたいな、とふと思う冬の夜」