木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

戦艦大和講義 私たちにとって太平洋戦争とは何か

大和といえば日本人、戦艦大和大好きですよね。宇宙戦艦ヤマトだって企画の段階では戦艦三笠のイメージだったのが、途中で戦艦長門に寄っていき、結局最後はヤマトになったわけで巨大戦艦時代の終焉を告げる船として、その悲劇とともに人気があるのかな?と思ったのですが、その人気を「心中者の生き残りの罪悪感」という面白い視点から語った本がありまして。

 

 歌舞伎の演目に「桜姫東文章」というのがあるのですが、このお話のヒロイン桜姫は高僧清玄の亡き恋人との生まれ変わりという設定なんですが、戦後の日本人は、この清玄の心境にあり、ゆえに大和に惹かれたのだ、というのがこの本の主張なんですね。

 

 修行僧の清玄は、稚児白菊丸と心中をはかります。二人は手に手を取り、共に来世に行く筈だったが土壇場になって清玄は怖気づき、白菊丸は死に清玄一人が生き残る。

 自分は死にそびれた、という清玄の罪悪感が桜姫と出会った後の行動に関係するのですが、戦後の日本はこの清玄と同じく「心中者の生き残りの罪悪感」で動いていると読み解くのです。

 

 これ、何故そう読み解くのかというと「大和」も「沖縄」も一億総特攻の先駆けとして死んでいるからです。敗色が濃くなった日本は「一億総玉砕」をスローガンに本土決戦に備えます。

 沖縄防衛の為に立案された大和の海上特攻作戦。この作戦に対して第二艦隊司令長官 伊藤中将が難色を示した為、なかなか納得しない伊藤中将を説得する為に訪れた草鹿参謀長が

「一億総特攻の魁となって頂きたい」

 と伝えて作戦を承認させたという話は有名ですが(このあたり、特攻第一号の関大尉が「日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある。」と語ったという話を連想させますね。

 いや、ほんと関大尉の言うことの方がごもっともであり、大和だって海上特攻作戦でなく他の作戦に従軍していたら沈没しなかった説があるくらいだから、伊藤中将だって「何度もアメリカ軍と戦えるのに、何故そんな無謀な作戦を?」と渋って当然だよな、という気がします)、伊藤長官が何故この言葉で難色を示していた作戦を承諾したのか?と、いうことについて、この本では言外の言葉を受け取ったのではないかと読み解くのです。

靖国で会おう」

「俺達も、すぐにおまえ達の後から行く。長くは待たせん。だから一億総特攻の先駆けとなって先に死んでくれ」

 日本は、本土決戦、一億総玉砕をスローガンとしていた。つまり日本という国の人間が一緒に心中しようとしていた。

「俺たちも必ず後から死ぬから、おまえ達は一足先に逝ってくれ」

 そう言って日本人は大和も沖縄も殺した。後から一緒に死ぬからと言って、大和も沖縄も殺したのに日本人は死ななかった。本土決戦は起こらず、日本の中で地上戦を経験したのは沖縄だけだった。

「一億総特攻の魁となって頂きたい」

 そう言って、大和を送り出したのに、共に死ぬ筈だった男は死ななかった。共に心中する筈の片方だけが、あの世に行った。

 日本人の抱える罪悪感と恥の意識が戦後、繰り返し形を変えて語られる大和の物語に反映されるのではないか、と、この本は読み解くのです。

 特攻の物語は、この時期に限らずよく語られますが「特攻で死ななかったもの」の物語は、あまり語られることはないですね。祖母の葬儀の後、軍服を着た祖父の写真が出たことをきっかけに当時の話で盛り上がりまして。

「戦争の後、特攻あがりが暴れてねえ。包丁持って暴れるから『子供達は○○さんちへ行け!いいと言うまで、そこで隠れろ!』と言って男の人達が何人も輪になって押さえ込みに行って」

 という話を大叔母から聞いた時、こんな田舎町でもそんなことがあったのか、と思いましたが、死ぬ筈だった自分は死ななかった、という想いを抱えた人は戦後あちこちにいたのでしょうね。

 美しい悲劇だけを消費することは、そういう人達のやるせない想いも無視することになるような気がしますね。