木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

麒麟館グラフティ

 

ふと思い出して、古い少女マンガで 

「仕事も出来て、地元の名家の息子なのに偉ぶりもしない凄い人。なのに奥さんに我儘な奥さんに家出されたんだって。可哀そうだね」 

と世間から見られていた人が、実はサイコパスモラハラDV野郎で、逃げ出した奥さんと結婚した理由の一つが、奥さんは家庭の事情で実家を頼ることが出来ない人で、何かあっても実家に自分の苦境を訴えることが出来ないので、大人しく自分に従うだろう、と見越してのことだった、という作品があったと思うけれどタイトルなだったろう?と思って調べたら吉村明美さんの麒麟館グラフティでしたね。 

 

これ逃げ出した妻が発熱の為に動けなくなって道でうずくまっていたところを助けた女性がDV夫を憧れの先輩として片思いしていた人で。 

あんなよくできた素敵な人から逃げ出すなんて、どれだけ我儘な奥さんなだろう、と思っていた女性が大人しい遠慮がちな美人で。 

思っていた人と違うと思いつつ、家に帰りたがらない女性を迎えに来てもらうよう夫に頼みに行ったら、憧れの先輩だと思っていた人のあまりの言い分にぶち切れて、妻に向かって 

「気のすむまでここにいればいい」 

 と宣言するのですね(助けた女性の家は下宿屋で、他の住人もいるし、妻がいても困ることはない) 

  憧れの先輩がサイコパスモラハラ野郎と分かっていて、その言い分に心底腹を立てているのに恋愛感情を捨てきれない後輩の女性とか。 

夫に対して絶望していながらも、自分も感情がある人間であることを夫に理解して欲しいという願望を捨てきれない妻とか、個々の感情がとてもリアルでしたね。 

 

 DVやアルコール依存症関連には大抵共依存の問題も出てくるのだけど、共依存についての本の中で、この作品について触れているのを読んだことがありますね。 

 共依存で支配している方、支配されている方、双方が相手に依存しあって成立している状態で、二人の女性が愛という名の支配から逃れて共依存から抜け出す(あるいは陥らない)ことが出来たのは互いの存在があったから。 

 恋愛という関係だけでなく、友情という関係もあったから(「私の大事な友達である貴方」という自分の存在を肯定してくれる関係もあったから)、「こういう形の愛もある」という愛のもっている罠にはまらずにすんだ。 

 愛の持っている危険に絡めとられずに欺瞞から逃れることが出来たのだと評されていましたね。 

 古い作品なのだけれど、絶版にならずに発行され続けているのは今でも必要としている人がいるからでしょうね。 

 DVや虐待という問題が世の中にはある、ということが社会の共通認識になったのは、そんなに古いことではありませんしね。 

 優れたフィクションに触れて、これは自分だと気づく人もあったのでしょうね。マンガでも映画でも小説でも優れた物語は気づきを促すことがありますね。 

 

 

麒麟館グラフティー 6 (My First Casual)

麒麟館グラフティー 6 (My First Casual)

  • 作者:吉村 明美
  • 発売日: 2004/09/01
  • メディア: コミック
 

 

 

 

 

 

子ども虐待は、なくせる

  これは、ともかく読むのに時間がかる本でした。私は本を読む速度は、そんなに遅くないと思うのですが、内容がきついとなかなか読み進まないのですよね。

だいたい虐待について丁寧に取材した本はどれもなかなか読み進められないものですが、この本はその上データでぶん殴る、ぶん殴る。

「そんなことはあるはずもない」

と自分が見たいものにしがみつきたい人に

「あなたがそう思いたいなら、そうでしょうよ。あなたの中ではね。でもあなたがどう思おうとこういう事実があることはデータが示していますからね」

 次から次へとデーターを積み上げる、積み上げる。この本、文章から自分達を守ってくれなかった法に対する怒りをひしひしと感じるのですよ。

この本を書いた今さんが別の本で
「俺を心配してくれた先生、庇ってくれようとした友達の小母さん。どうして俺がその人達のもとに逃げ出したら、俺を守ろうとしてくれた人達が誘拐犯になるんだよ。
どうして俺は、俺を守ってくれようとした人達のもとを離れて、あんなクソみたいな親のもとに戻らなきゃいけなかったんだよ」

 と、書いていたのを読んだ覚えがあるのです。


 今さんが子供の時の話ですから今とは状況が変わっているでしょうが、日本は親の親権が強いので、親が
「自分の子供が誘拐された」
 と訴えれば、たとえ子供が自分を虐待する親から逃げる為に守ってくれそうな大人のもとに身を寄せたとしても誘拐罪が適用されてしまうのですね。

 そういう状態が長年放置されてきた。

 既に児童相談所の過重労働でパンク寸前であり、マンパワー不足で必要な支援がいき渡っていないことがかなりの人に知られるようになった頃の起こった虐待死事件について、自分の無知と不勉強を大声で晒していることに気づいていなのだろうな、という感じの児童相談所批判を経済誌のコラムが載せたけれど、その薄っぺらなコラムをシェアしてくる人がいて驚きました。

 そこまで子供を取り巻く問題について関心がないのかと。あのコラム、シェアされてくる前に虐待問題に関心を持っている人達が

「ひどいコラム」

 と怒っていたのを読んでいたのですよね。そんなにひどい記事なの?と思って読み始めたら、本当に評価通りの記事でした。

 ああこれは少しでもこの問題について関心を持っている人なら、ひどい記事だとバッサリ切るわ、と思っていたら、そのひどい記事が記事の内容に同調するコメントと一緒にシェアされてきたので、このコラムを多くの人が読むべきだと思ってシェアしてくるほど虐待について関心がない人が世の中の大半を占めるのかと思いました。

 

 起きた結果だけ見て、一時怒ってそれでおしまい。いったい何故そんなことが起こったのか?再発を防ぐ為に必要な、深く知ることをしようとしない。

 結果だけを見て、原因を知ろうとしようとしない。

 なるほど、この本の中で「30年以上、虐待政策は失敗を繰り返すばかりで成功していない。その証拠に虐待件数はずっと右肩上がりで下がっていない」と冷静に斬られるはずだわ、と思いました。

 

 

おじいちゃんの里帰り

FBで就職活動中の女子大生が生まれたばかりの我が子を殺してしまった事件の解説が流れてきたけれど、それを見たらこの映画のことを思い出しました。

www3.nhk.or.jp

これトルコ移民の家族が「故郷に帰る」という祖父の言葉で一族全員でドイツからトルコまで里帰りの旅をするロードムービーなのだけど、旅の途中恋人との間に子供が出来てしまったことを誰にも言えないでいる孫娘に

「おまえ、妊娠しているんだろう。おじいちゃんには分かる。嘘はつくな」

 と祖父が言うんですよね。ドイツ在住とはいえムスリム文化の家族だから貞節に対しては厳しく、学生で結婚模していないのに妊娠してしまったことに孫娘はずっと悩んでいたわけです。

 本当は旅行もしたくないのですが、家族の結束が日本よりはるかに強いトルコ人ですから一族揃って里帰りする時に自分だけが行かないとは言えない。一族の中で一番年少の孫息子だけが従姉の様子がいつもと違うことに気づいていたのですが気づいていたのは孫息子だけではなかったのですね。

 しかも子供と違って祖父は大丈夫だからと誤魔化されてくれない。

「相手は誰だ?ドイツ人か?」

「イギリス人なの」

「イギリス人、なんてこった」

 これが孫娘が妊娠したことを言い出せなかった理由で(確か恋人の方は彼女が妊娠したことに驚いていたけれど同時に喜んでもいたんじゃないかな)結婚前に妊娠しただけでもハードルが高いのに、相手がトルコ人じゃない。今暮らしているドイツの人間ですらなくイギリス人ということで告白へのハードルがとてつもなく高かった孫娘は、思わず天を仰いでしまった祖父の反応に泣き崩れてしまったのですが、ここで

「ああ、泣くな、泣くな。心配するんじゃない。おじいちゃんがなんとかしてやるから」

 孫娘の肩を抱いて慰める祖父がいかにも家父長制度が色濃く残っているトルコの家長らしく、「トルコで私も考えた」を描いている高橋ゆかりさんが

「家父長制度を単純にいいと賛美する人は多いけど、トルコの男性を見てると(家父長制度の強い地域の)男は大変ですよ。

 男たるもの、強く、優しく弱音を吐かず、身を盾にして家族を守り、しかも詩や音楽をこよなく愛す浪漫を忘れてはならないのだから。

うちはゴミ出しや力仕事は男の仕事なので、夫や息子と一緒に出かけた時に重いものを持ったことはない。男が側にいる時に女に重い荷物を持たせることは『男の恥』になるのだそうです」

 描いていたなあ、と思い出しました。

 家父長制度云々は横に置いておいて、就職活動中の女子大生も悩みで頭がいっぱいで視野が狭くなる前に、こういう風に誰かに気づいてもらえれば良かったのに。

「失敗した」という思いで頭がいっぱいの時に、怒られるのではなく「ああ、泣くな、泣くな。心配するな」と誰かに抱き止めてもらえれば良かったのに。(もっともこの映画でも娘の妊娠を知った母親の方は怒り狂ってましたけどね)

 そして、この映画、おじいちゃんが家族の中で一番早く妊娠に気づいていた理由については、おばあちゃんが

「あの人はそうよ。私の時も私より先に妊娠に気づいていた」

 と落ちをつけたのでした。おじいちゃんは今より更に婚前交渉について厳しかった時代のトルコでおばあちゃんを妊娠させ、妻の身を守る為に駆け落ち婚をしたのでした。トルコも名誉殺人のある国ですからね。

(念の為に書きますとおじいちゃんが移民をしたのは、子供達が学校にあがる年頃になった頃、労働力を求めていたドイツに出稼ぎに行ったのがきっかけなので、駆け落ち婚とは関係ありません)

 

おじいちゃんの里帰り [DVD]

おじいちゃんの里帰り [DVD]

  • 発売日: 2014/11/05
  • メディア: DVD
 

 

チキタ★GUGU

鬼滅の刃絡みでデビルマンの最後が流れてきたので、ああ、あのキャラクターの死って完璧にデビルマンへのオマージュだよね、とこれを思い出しました。 

デビルマン、終わり方が衝撃的だったせいか影響を受けた作家が多くて、これオマージュだろうなと思う作品を描く作家がわりとおりますね。 

 

大抵の読者が、ああいう目にあったのだからその分幸せになって欲しいと思うキャラクターをああいう殺し方をするのがこの人ですよねえ。 

 

しかも敵役のエピソードとして障害児を産んだ為、婚家を追い出されて山の中で二人きりで暮らさざるをえなくなった母子という話を入れるところがまた。 

 

あのエピソード、現実でもよく聞く話よね、と納得している人が多かったところが闇ですね。 

 

 

 

 

海街diary9 行ってくる

海街diary、今頃最終巻を読んだのだけれど四姉妹が家族になっていく姿を描いだ物語を、家族になれなかった弟の話で閉じるところが吉田秋生だなあ、と思いました。 

あ、本編自体は家族の物語として閉じてます。本編の後、本編から十年後の話が短編として入っていまして、そちらが四女の義弟が主人公。浅野四姉妹のうち四女だけが顔を出さずに出ています。 

すずは浅野三姉妹から見ると「父に置いて行かれた妹」なのですが、短編の主人公である和樹の立場から見ると「自分達を置いていった姉」なんですね。 

そして和樹にとっては、今でも「お姉ちゃん」だけど、すずにとっては「かつて弟だった人」という片思い関係があるのがせつない。 

本編でもすずが 

「私は山形の家も山形の家族も好きじゃなかった。そのことは和樹も気づいていただろう」と思う場面がありますが、短編でも和樹が 

「お姉ちゃんは、この町もおれたちのことも好きじゃなかった。当たり前だ突然現れた『母親と弟』を受け入れられる筈がない」 

 とモノローグで語っていて、嫌悪の感情は伝わりやすいのに好意の感情は伝わりにくいのかな?と言葉にせずとも伝わる感情の伝わりやすさと伝わりにくさを思ったりして。 

 一時期、姉弟だった二人は十年たって、すずは妹となり、和樹は兄となった。

 三人の姉に守られて成人し、次姉の紹介した寺に父の墓を移す為にやって来たすずに、今まで父の墓を護ってくれた礼を言われ

「あたりまえだよ。浅野のおじさんは『お父さん』だったんだから」

 と返し

「『父親』というもの殴るものだと思っていた。殴ったり、怒鳴ったりしない母親の男は浅野さんだけだった。」

「俺の家族はそういう家族だ」

 と思う和樹は兄となった。兄にならざるをえなかった。 守ってくれる姉達を持たなかったすずが和樹でもあるのですよね。 

 和樹の物語は、ようやく本がでますね。短編シリーズ連載は本になるまで時間がかかりますものね。 

 詩歌川百景の方が海街diaryより閉塞感がある気がするのは海がないからだろうか。

主人公が男の子で、置かれている状況がしんどいというのは海街diaryではなくラヴァーズキスの方を連想するけど、あれはしんどさはあるけど閉塞感はなかった気がするのですよね。

(それにしてもラヴァーズキス、男女の恋の話より、男同士の恋、女同士の恋の話の方が切なさや爽やかさがあった気がするなあ。男女の恋の話はお互いの抱えている傷についても絡んだ話だったけど、男同士の恋、女同士の恋の話は純粋に恋という感情がメインの話だったからかしら?)

 詩歌川百景が完結するまで何年かかるか分からないけど、海街diaryも完結するまで十年くらいかかっているから、ラヴァーズキスから数えると、もの凄い長距離走になりますね。

 そして、海街diary 最終巻まで読んで、あらためて思ったけれど浅野姉妹の父、女性の好みが一貫してますねえ。すずのお母さんは、人の語りからしか出てこないから造詣がいまいち分かりにくいけれど、最初の妻と最後の妻を見ると「自分がいないとダメだ」と思わせるタイプの女性に弱かったとしか思えないもの。

 浅野姉妹の父が娘達から「優しいけれど弱い人」と評される理由がなんとなくわかるわ。

 

海街diary 9 行ってくる (flowers コミックス)

海街diary 9 行ってくる (flowers コミックス)

 

 

 

常盤とよ子が写した戦後横浜の女性たち

たまたま用事があってユーラシア博物館の近くを通ったので、今何をやっているのかな?とのぞいていみたのですが、ちょうど準備期間中で常設展しかやっていなかったのです。

常設展ならいいか、と見るのをやめたのですが、1階で常盤とよ子さんという写真家の追悼展が開かれておりまして。

せっかくだから見てみようか、くらいの軽い気持ちで見たのですが、これがなかなか良い写真で、思わぬ拾いものをして気分となりました。

タイトルとして「常盤とよ子が写した戦後横浜の女性たち」というタイトルがついていまして、戦後の横浜の赤線や青線で働く女性達。

いわゆる「パンパン」と呼ばれた女性達の姿を写した写真でした。

後で調べたら常盤さん、有名な写真家でこうして追悼展の案内も出ていたのですね。 

www.nhk.or.jp

www.tokyo-np.co.jp

常盤とよ子さん、横浜空襲でお父さまを亡くされたそうで。父を殺したアメリカを憎み、父を殺した国の人間であるアメリカ兵に媚を売って生きる女性達の姿を憎しみと反感をもって撮影していたそうですが、撮影を続けるうちに彼女達への視線が反感から共感に変わり、ありのままの姿を撮影するようになった、と書かれていましたね。

 

撮影を続けるということは彼女達がどういう生活をしているのか?ということを見続けているわけで。

そこで彼女達と言葉を交わすようになり、何故そういう生活をするようになったのかを知ると反感を抱き続けるのが難しくなったのでしょうね。

誰もが生きるのに必死な時代でしたし、たまたま自分は彼女達と同じにならなかったという思いもあったでしょうね。

だって生きなければいけないもの。戦争で街を焼かれ、家族を失い、それまでの日常が壊れても、それでも生きなければいけないもの。

 

そういう時代があった。そういう時代の中を生きていた人達がいた。その事実を記録する力を持った写真でした。

うさぎとマツコの往復書簡

基本的に、この人達凄く真面目なんだなと思うと同時に玉ねぎの皮をむいたら実がある筈と一生懸命剥いて、剥いて、どの玉ねぎにも実がなかった、こんなに剥いたのに実がなかったと嘆いているような対談だな、と思いました。

つまり、この人の抱えている虚無が何なのか。何故これほどの虚無を抱えているのかがよく分からないのですよ。

マツコさんの方は、まだ理解できるんですよね。この人の立場ならこう考えるだろうなと。

ウサギさんの方はやっぱりよく分からない。玉ねぎの皮を剥いて、剥いて、実がなかったと呟くよりも剥いた皮でオニオンスープでも作った方が楽しいでしょうに。(少し違うか)

 

色々やったけれど後悔してない。ただ最初は笑ってくれていた人達がだんだん笑ってくれなくなっちゃったと書いていたけれど、人の自傷行為を笑って楽しめる人は少ないのではないかな。

本人の意識はどうであれ、傍から見ると自傷行為にしか見えないし、自傷行為してまで欲しいものは何かもよく分かっていないような気がするのですよね。