今年の大河、同じ俳優が若い頃の志ん生を演じているけれど、前回の放送だと、それに加えて
志ん生の二人の息子も演じていましたね。
兄弟だけど性格も芸風も違う馬生と志ん朝と二人の真打を(志ん朝は、この時はまだ真打じゃなかったけど)、きちんと演じ分けているのが凄いですね。
りん夫人を演じているのが孫娘の池波志乃さんだし(長男の馬生きの娘さんです)、遊んでますよね。( ´ ▽ ` )
その遊びが楽しいけれ、逆に視聴率が悪いという理由も分かるわ。こういう遊びについていけない人には訳の分からない大河でしょうね。
「今年の大河を観ていると、この勢いでファシズムに突き進んで行くのだろうな、というのが凄く納得できるから、どういう風に突き進んで行く姿を描くのか楽しみだ」
と書いていた人がいたけど、分かるわ〜。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
そういえば昔知人に
「どうして日本が戦争に突き進んでいったかって、あれは明治から見ていれば必然ですよ。
ずっと、西洋に追いつけ追い越せで国民をそういう方向に引っ張ってきたんですもの。
あそこで、ここは拙いからやめた、で方向転換しようとしたら国民が納得できなくて内乱がおきます」
と言われたことがあったのですが、あの言葉が納得できる芝居が観られるのかな?
それは、さておき今年の大河で志ん生に興味を持った人は是非こっちも読んで欲しいなあ。
貧困と貧乏は、 よく混同されやすいけれど、その二つの違いがハッキリとよく分かる一冊。
今年の大河で小泉今日子さんが演じるお姉さん(志ん生の長女)が父と二人の弟の思い出を綴った本です。
若い頃の志ん生の貧乏話は有名で(なんたって、その頃の思い出を綴った本のタイトルが「びんぼう自慢」で、住んでいた場所がなめくじ長屋ですよ。)
どういう生活だったか想像がつくし、この本からも生活の厳しさは伺えるのだけど貧しさにつきものの暗さがこの本にはないのですね。
一家の大黒柱である働き者で、しっかり者のおかあちゃん。
まるで頼りにならないけれど、落語に関してだけは真剣なおとうちゃん。
夜なべ仕事のため、朝起きられないおかあちゃんが子供達のために用意しておいてくれた枕元のおめざ。
弟が生まれた日のチョコレート
お金がなくても、地縁、血縁に恵まれ、人を思いあうコミュニティに属していると、これだけ暮らしの豊かさが違うといういい実例よねとも思うし、昨今ソーシャルワーク流行りは新しいことではなくて
世の中が先祖帰りしているのかな?とも思います。
この本で綴られている人達とほぼ同じ地域で暮らしている森まゆみさんが当時を知る古老の言葉として
「あのね、下町人情なんてそんないいものじゃないの。みんな貧乏だったから助け合わないと暮らしていけなかった。それだけ。
みんな自分が突っ込まれたら嫌なことがあるから、人が突っ込まれて嫌なことにも触れなかったのよ」
と記していましたね。
世の中が貧しくなると、先例の繰り返しが違う形で現れるのかもしれませんね。
それにしても今際の際、姉が弟に叫ぶ
「強次、真っ直ぐだよ!真っ直ぐにとうちゃんとかあちゃんのところに行くんだよ!」
という言葉はいいなあ。
自分の両親はあの世で天国にいる、という前提があって。
だから旅立つ弟が道に迷わないように、あっちで待っている両親のところに真っ直ぐお行き、と叫んでいるのですものね。
こういう風に家族の死を迎えられる人、自分の死を見送ってもらえる人は今どこのくらいいるのでしょうね。