木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

各分野の専門家が伝える 子どもを守るために知っておきたいこと

この本コロナ禍前に、子育てに関して、あまりにトンデモ理論やニセ科学が蔓延っている状況に危機感を抱いた各分野の専門家が集って作った本なのですが、その時よりもデマや不安が広がりやすい今、読み返すのはいいかもね。

そりゃ、学校にまで「親学」やら「水からの伝言」やら「誕生学」やらが入り込んでいる状況では、まともな専門家なら危機感を抱くわ。

「誕生学」の主催者が、「誕生学」の前はホメオパシー推しだったことから分かるように、こういうの唱える人達ビジネスセンスは、あるのですよねえ。

www.gohongi-clinic.com

毎回きっちり顧客になりそうな層を見つけてくるなあ、と感嘆してしまう。

上手いこと親の欲望を焚きつける技に長けている。

子ゆえの闇を刺激されると、それが本当に子供の為になるのか?という冷静な判断がしにくくなるのでしようね。

子育てに対して正解はないし、各家庭それぞれのやり方があっていいけれど、「これがスタンダードな見方だよ」というのを知っておいた方が、不安を煽る言葉に捕まって、そういう人達のいいお客様になる確率は減るかもね。

子育て界隈は、医療健康情報と同じくらいトンデモが入り込み易くて、メディアが垂れ流すトンデモ話に専門家がブチ切れるという図は珍しくなかったのだけど、一応は監修者がいる筈のメディアと違って(監修者がいて、あのレベルを平気で流すのか、というのは横に置いておいて)、ネットの世界は監修者がいませんので、よりトンデモが蔓延り易い状況なんですよね。

 

「嘘を嘘と見抜けない人はネットの世界に近づくな」と言われるくらいだもの。

専門家が匿名で、自分の知識をシェアしてくれることもあるから、単純にネット=悪とは言えないけど、最低限「これ、おかしいかも?」と自分の引っかかりを信じられるくらいの知識は、あった方がいいよね。

 

子育てしている当人達は、真っ当な知識があっても、その親世代、祖父母世代が「ネットde真実」にハマって、トンデモ理論で親切の押し売りをしてくることも考えられる時代だし。

そういうありがた迷惑から身を守る為にも「専門家は、こう言ってます」と、武器になりそうな本を用意しておくのはいいかもね。

 

 

アーナンド先生の教室

 

このツイートを見て、調べたらまだ間に合ったので見に行ってきました。

「次はどんなインド映画を見に行くの?」
「受験戦争を描いた映画で階層社会なインドで貧民のための私塾を開いて難関大学に生徒を合格させまくる先生が主人公」
「ふむ」
「怒った他の塾が殺し屋を送り込んでくるので銃撃戦する」
「戦争ってそういう……?」
「という実話を元にした映画」
「待って」

togetter.com

いや、これ見て気にならない人はいないでしょう。観たら、めちゃいい映画でした。

お勧めです。

spaceboxjapan.jp

橋の上で

湯本さんも酒井さんも大好きなので、

湯本香樹実が文、酒井駒子 絵、これは買わないわけにはいかないでしょう❗️」

 と、本屋をのぞいたら、ちゃんと置いてあったので買ってしまいました。

 昨今、児童書コーナーは貧弱な本屋が珍しくないなか、わりと充実している本屋が近くにある有り難み。

www.kawade.co.jp

 絵本なんかは、好みがあるから、しっかり中を確認してから選びたいのですよね。

 そして魅力的な絵本は、うっかり財布の紐を軽くする。

 これは図書館で借りるだけじゃなくて、じっくりと手元に置いて読もう、と思った本を買ったばかりだったので、

「湯本さんの新刊見つけたのはいいけど、今月の図書予算を考えると来月まで待つか」

 と思ったのですが、中をパラパラしたら

「どうせ来月買うんだから、今月買っても同じじゃない」

 に考えが変わってしまいました。いいのよ!初版分は、初版限定酒井さんのオリジナルポストカードがついているし。

 

 湯本さんの本は「死」と「出会い」を描く作品が多いですよね。

 デビュー作の「夏の庭」からして「人が死ぬのを見たことがないから、一人暮らしのおじいさんの生活を観察する小学生達」の話だし。

 

あれも一つの出会いが双方に与えた変化を書いてましたね。

今回は、橋の上での、ただ一度の出会いだから小学生側の視点だけど、この後このおじさんはどうしたのかな?とか、おじさん別れる時振り返らなかったんだな、とか色々と想像が膨らみますね。

 

苦しい時というのは、子供に限らず自分の苦しさに閉じ込められている状態だから、そうでないのだと知ることだけで救われることもあるのでしょう。

 

たとえ苦しさ自体は変わらなくても、自分の中に水脈があることを、水辺に佇む人達がいるということを知っているだけで見えてくる世界は変わってくる。

 

自分の中にある「ここではないどこか」

 

もっとも自分の中にそういう世界があることを封じてしまっている人も、そもそもあることにすら気づかないままの人も多いのでしょうね。

 

 

 

 

教育と愛国

足立区の子供達への支援が「素晴らしい!」「真っ当過ぎる」と話題になっていまして。

togetter.com

togetter.com

元々、給食での食育を通して、子供達への栄養教育(アメリカの低所得者層の食生活とその結果としての過剰な肥満と成人病を見ると、これがどれだけ大切なことか分かる)と、その父兄の子供を通しての健康改善策で話題の区だったのですが、それを給食以外の分野でも進めているようですね。

 

足立区の取り組みを見ていると、政治家が決まり文句のように口にする「子供の為に!」「この国の未来の為に!」という言葉は、その人がどんな行動を取っているのか、どんな政策をとっているのかと照らし合わせて判断しないと拙いですよねえ。

 

虐待サバイバーの「家庭は僕にとって地獄でした。『こども家庭庁』という名称は、僕のような存在の子供達には、自分とは縁のないもの。自分を助けてくれないものと映ってしまう」という言葉を受けて、「こども庁」に名称したものを

「国家や家庭、親子の心のつながりを『子どもの権利』を拡大解釈して断絶、蝕んでいる実態です」

 と主張する人達に気兼ねして「こども家庭庁」に名称変更させた国ですから。同じ「子供の為に」という言葉を使ってもやっていることがこれほど違う。

 この映画、この国の教育がどれほど政治の圧力に晒され続けてきたのか、というドキュメンタリーなのですが、元首相暗殺事件以来再演する映画館も出てきますね。

 まあ、そりゃ再演する映画館も出てきますわな。自分の読んでいない教科書、内容を確認していない授業について

「私の知り合いの尊敬する方から、協力してくれませんか?」

 という依頼があったからと、大量の抗議ハガキを出して、しかも自分が出したことを覚えていない政治家の様子が映されているのですもの。これ、裏読みするなという方が無理でしょう。依頼した人が必ずしも統一教会とは限らないとは思いますけどね。

 政治家と宗教団体との関わりの深さが、今まで知らなかった人にも露わになった今、単純にそう思う人も出てくるのじゃないかなあ。宗教右派、ぐちゃぐちゃ面倒に絡み合っているので、そんな単純なものでないとは思いますけどね。

 

 個人的好みで言えば、撮影者の視点がもう少しフラットな方が好みなのだけど、撮影者の視点の偏りよりも出てきた政治家達の軽さと無責任さに全て持っていかれました。

 だって政治家(とその支援団体)が気に入らない教科書を採択した学校や、気に食わない授業を「問題のある授業だ」と吊し上げられた先生が大迷惑してるのよ。

 あれだけ大量の抗議ハガキを送りつけておいて、内容を確認していないって一体何?そんなアホな人達が

「これは日本の伝統にとって問題だ」

 とするから、道徳の教科書に出てきたお店をパン屋から和菓子屋に変えさせられたりするのよ。たぶん「郷土愛を育む」あたりがテーマなのだろうけど、「子供がおじいさんと一緒にお散歩に行きました。お散歩の途中、パン屋さんに寄りました。パン屋さんは美味しいパンを作る為に一生懸命働いています」が教科書検定ではねられて却下。

 知らなかったけれど、教科書検定って、検定中に「ここ訂正の必要あり」と赤ペンされても「何故、そういう指摘がされたのか?」

の理由は教えてもらえないのですね。指摘の理由を説明すると検閲に引っかかるということはあるのでしょうけど、ともかく教えてもらえない。

 指摘を受けた出版社側が「何故、初稿で出したものが検定に通らなかったのか?」の理由を考えて、訂正版を作成しないといけないのです。だから出版社側にも「何故、パン屋さんだと検定ではねられて、和菓子屋さんだと検定を通ったのか?」の理由が判らないのですよ。第二稿が通った理由も教えてもらえないから。

 報道を聞いたパン屋さんが

「何で、子供が立ち寄るお店がパン屋じゃダメなの?来てくれるお客さん達に喜んでもらえるよう頑張っているのに」

 と、腐るのも分かるわ。

 これねえ、構図で言ったら、森達也さんが「放送禁止歌」で書いた自主規制が生まれる構図とよく似てるのですよ。発信する側が「これだと通らないかもしれないから、こっちにしよう」と自粛する方向に走るという点で。

 まあ「放送禁止歌」の方はTV局側の「これ流したら視聴者が問題だと騒ぐかも」で、教科書検定の方は「この記述だと検定で引っかかるかも」で想定している対象の広さが違うのですけどね。TV局は、出版社みたいに先行投資していないし。

 教科書検定って出来上がった教科書を「この内容なら学校で利用してもいいですよ」とOKを出す為の制度だから、これに合格しないと出版社側は教科書作成の為にかかった費用が全て無駄になってしまうのですよ。

 教科書って、作成するのにお金かかるのですよね。内容に間違えがあったらいけないから。きっちり調査しないといけないし。先行投資した費用が戻ってこないとなると経営に差し支えるから、出版社側も「これは検定で引っかかるか?」という点を気にする必要がある。

 それが以前なら通っていた記述が通らないようになった。そのうえ、その厳しい検定を通った教科書を採用した学校に「何故、あんな問題のある教科書を採用したんだ」という抗議ハガキが大量に届くようになる。

 それも自分の名前で、その抗議ハガキを送ったことも覚えていないような政治家達から。そりゃ、文句をつけられてた教科書を採用した学校は、その抗議ハガキを無視するわ。

 他の学校もそうだろうけど、名門難関校なら「どの教科書が、教材として優れているか?」という視点で自校で使う教科書を選ぶから、内容も確認していないクレーマーに従わなけばいけない理由はないもの。

 

 教科書も授業も内容をきちんと確認して批判する点があれば批判すればいいし、批判された側もその批判におかしな点があれば、どんどん反論すればいい。だって学問というのはそういうものでしょ。

 批判され、議論され、精査されを繰り返して、論考を深め、磨き上げられていくものでしょ。批判を許さないのは信仰であって学問ではないでしょう。宗教だって、宗教学では批判や議論はつきものだもの。

 それをやらずに「だって、そうだと聞きました」「知り合いの尊敬する方が『問題だ』と言ってました」と、いい歳の大人が、仮にも政治家が、噂を鵜呑みにして騒ぐ小学生みたいなことをするから

「本当にそうなのか確かめたの?」「人が『そう言ってた』じゃなくて、あなたがそうするべきだと考えたの?」

 と、お母さんに聞いてもらえと思いました。政治家のやっていることが仲良しの子に引き摺られやすい小学生レベルなのだもの。

まあ小学生と違って

「私の知り合いのとても尊敬する方から、こういう運動を展開していきたいので協力してくれませんか、という依頼があったので」

 ですから、スポンサーからのお願いに断れなかったのでしょうけど。この映画に出てきた政治家達が統一教会と関係しているとは思わないけど(宗教右派との関わりはないとは言えないけれど)どちらにしろ支援者の意向が大事で「内容を確認する」という基本的なことすら行わない人達が教育に口出しして欲しくはないですね。

www.mbs.jp

 

 

虚妄の女王

辺境警備外伝」というタイトル通り、「辺境警備」が終わった後の話。「辺境警備」の舞台であったルウム王国の敵国エアドラム王国の女王の物語。

 武人の一族の首長の娘が、よく似た容姿をかわれて次期女王となる女王の護衛につくが……という話です。

 国境問題で登場してきたルウム軍の司令官の冷静な交渉ぶりが、エアドラム王国内の内情の不安定さを、より際立てますね。

 「辺境警備」読者は、ルウム軍王国軍司令官の登場で拍手喝采したでしょうね。

隊長さん、王国軍軍団長になったのね。無事出世してますね。

 神官様や兵隊さんの前では見せなかった有能な軍人の顔を、この本ではバシバシ見せてます。

 隊長やカイル登場の場面は良かったけれど、物語のたたみ方が惜しい。打ち切りでもくらったのかと思うくらい尺がない感じですね。

 「おれ達の戦いはこれからだ」endという感じ。途中が良かっただけにもったいないですね。

 

東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート

東京では、30日まででした。間にあって良かった。(地方公開は、これからだそうだけど)
もう一つのオリンピック映画はそそらなかったけど、こっちは観たかったの。
この題材ならくっきりと政治色を出すことも出来ただろうけど、そうならなかったのは、
「いきなりふってわいた引越しって、ホント大変ですよね。お気持ちよく分かります」
 と言いたくなるような住民達の言葉や態度。
悲劇と喜劇は紙一重で、団地の人達がどれほど大変で困っているかは画面から滲み出ているんだけど、どことなくおかしみがあるのね。
「私、来年90よ。この年で引越しなんて」
「木造の時に『オリンピックが来るからこんな建物があったらみっともない』と追い出されたんだ。また『こんな建物があるとみっともない』から追い出される。二度もオリンピックで追い出されるんだ」
 こういう言葉をシュプレヒコールをあげて言うなら、よくある政治批判映像なのだけど、生活臭溢れたお茶の間でご近所の人達とお茶飲みながら「困った、困った」して、降ってわいたどうしようもない事態に対処する為に
「あんたのところは、どうするの?」
 と、情報交換している姿が、ホームドラマのようだなあと思いました。
 ポスターは、取り壊された後のアパートだけど、映画の中にはこの光景は出てきません。
 描かれているのは、団地の前を掃除したり、皆で草刈りしたり、団地の前に集って神宮の花火を見上げていたりした人々の暮らしと、そういうものを手放さなければいけないという決定に悩み、困りつつ、従わざるをえない姿。
 偶然、この映画を観る前にPlan75を撮った早川監督からお話を聞く機会があって、監督があの映画を撮った理由について
「あれを撮ろうと思った理由は怒りです。選択が出来ない状態にしてから選択させておいて『自分が選んだろう』と自己責任という言葉で、怒りすら持てないように封じ込めようとすることへの怒り」
 と語っていまして。
 この映画の冒頭に出てきた「ここにいたい」という選択肢のない移転アンケートで住民が移転に賛成しているというデータが作られていく姿に、早川監督の言葉通りの光景だなあ、と思いました。

 

この映画を観て連想したのだけれど、京都に行った時に、習いごとの宗匠のお勧めの鏑木清方展に皆で行きまして。
何故、お勧めだったかというと京都の回顧展では、東京では展示のなかった「築地明石町」の下絵があったんですね。
東京で観た時も思ったけれど、鏑木清方の絵を観ると「江戸っ子は故郷喪失者」という言葉を思い出しますね。
彼らの愛した江戸は明治維新で瓦解し、その残り香も震災と戦災で消えてゆく。
鏑木清方、子供の頃の思い出として
「朝になると人々が家々の周りを掃除する。あんな綺麗な町はなかった」 
 と、語っているけれど、その美しい町を作り上げていたコミュニティへの誇りと、そのコミュニティが泡沫の夢と消えた寂しさが滲んでいますね。
 こういうコミュニティの価値とそれが消えることによって何が失われるかを理解する為には、場の価値を測る為の物差しを経済の他にも持っていないと難しいでしょうね。(´-ω-`)

www.tokyo2017film.com

杜人

社会の硬直化が、どれだけ世の中を息苦しくさせるのか?ということについて考えさせられる時に、風通し、水通しをよくすることによって、土中の環境を変え、環境を蘇る人の映画を観るのも、何かまたサインのような気もしますね。
横浜だと26日までだから間に合って良かった。東京だともう少し多いかな?
上映館が増えているという話を友達から聞いたから、観た人の口コミが評判を呼んだのでしょうね。


この映画を観たのは、看護師から庭師に転身した友達がいて、彼女に勧められたからです。
看護師としても頑張っていたから訪問看護師の仕事はやりきった、と思って転身したのだろうな。
命に向き合うという点では共通しているのだし。
造園業を仕事に選んだ後、仕事のやり方に悩んでいたようだけど、この映画を勧めたということは吹っ切れたのでしょうね。
看護師やめてまで選んだことだから、植物に向き合うことに妥協したくなかったのでしょう。
人の営みが経済であって、経済の為に人の営みがあるわけではないから、彼女みたいに何が大事なのかをじっくりと考える人は増えそう。
「綺麗ごとでは世の中は変わらない」
という言葉もSDGsがビジネスの為の綺麗ごとになっている現状を見ると響くなあ。
土中の流れが、人の目には見えないまま変わっていくように、社会の上の層にいる人達が気づかない間に新たな流れが始まっているのかもしれない。
この映画、コンクリートも否定してないのがまたいいのですよね。
コンクリートも手を加えて風穴をあけることで地盤を守る大岩に変えられる。
少し手を加えることで変化を起こせる。ガチガチに固まって呼吸が出来ない状態だと何が起こるか?
どうしたら、それを変えられるか?
そういうことの解決方法は、何が起こっているかを観察して、原点に戻って考えて、早急に早くではなく、変える為に待てる度量を持って行動することが大切なのでしようね。

lingkaranfilms.com