木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

「正しさ」の商人

震災の後、各地域に残っていた後世への警句を記した石碑が話題になっていましたが、これは「災害時における情報災害がどれほど被害を与えるのか?」ということを身をもって体験した福島県民が、自分達と同じように長期間情報災害で苦しめられる人が生まれないことを願って執筆した本です。

 

東日本震災は被災地域に大きな打撃を与えましたが、福島の被害が他地域と異なるのは、震災による被害に加えて、原発事故のおかげで望まぬイデオロギー闘争に巻き込まれてしまったからなのですよね。

この本、著者が後書きで

「本書は出来うる限り『イデオロギー(党派性)』ではなく、『ファクト(事実)』の書にしようと努めてきた。

書中でも述べてきたように本書の目的はただ一つ『今後の社会における情報災害の発生抑制および被害低減』という公益性を求めることにあるからだ」

 

「私は『情報災害』のさらなる被害を止める一助となることを願って本書を執筆した。

そこには東電福島第一原発の事故による災害の『情報災害』に翻弄された一人の福島県民として『未来への引継ぎ』のような祈りにも似た感情がある。

この記録が、願わくは現状のような党派的なしがらみが無くなった未来の研究者あるいは政治家の方に研究資料の一つとしてでも使っていただいたり、そのことによって、これからも多くの災害に立ち向かわざるを得ないであろう、この国、この社会に生きる未来の世代に降りかかる不幸を僅かでも小さくできたならば著者としてこれ以上の幸せはない。」

 と書いているのは、そう書かざるをえない状況を体験したから。事実よりもイデオロギーを大切にする人達の正義に苦しめられ続けてきたからなのですね。

 

 この本、最初に読んだ時、ペシャワール会中村哲先生の著書を連想しましたね。アフガニスタンの大干魃について

「こんな状況、小さなNGOには手に負える筈がない。いつか世界が気づいてくれる。いつか助けが来てくれる。その時まで、人々が生き延びられるよう頑張るんだ。

 そう思って耐えてきた人々のもとにやって来たのはアフガニスタンへに支援ではなく空爆だった」

 と、911後に起きたアフガニスタン空爆について語っていましたが、この本の著者の林さんが体験した状況がまさにこれでして。

 

「いつかメディアがこの状況を変える情報を流してくれる。デマを打ち消す正しい情報。ちゃんとした『福島の今』を伝えて、この窮状から救ってくれる。そう思って頑張ってきたのに、そんなことは起こらなかった。

『マイノリティや弱者の味方』を名乗る人達は、ちゃんとした事実、誤解のない『福島の今』を伝えるよりも、彼らの主義、思想、功名心、商売にとっては有益となる情報を伝える方を優先した。それが事実か、そうでないかは『彼らにとって有益か?否か?』より後回しにされた」

 事実よりも「商品として情報」自分達にとっての正しさ」の方が優先なんだと見切られてしまったのですね。震災後も延々続く情報被害の中で、国やメディアに期待するのは無駄だ。 

 党派性に左右されない「福島の今」を伝えて、情報災害から故郷を守るためには自分達が動くしかないと。

 

「東日本震災後、情報災害に晒された人々は、自分達に加えられ続けられた情報加害に抵抗する為に市井の人々の協力のもと『マイノリティや弱者の味方』を掲げ続けてきたジャーナリズム、アカデミズム、政治家、人権家団体が流した彼らの主義、思想、功名心、商売にとっては有益となる情報が、本当のことなのか?事実を集め、検証を繰り返し、

『【マイノリティや弱者の味方】を名乗る人達が、反原発の主張の為に流した情報は事実ではない。印象操作によるデマである』

 というデマの消し込みを、自ら行い続ければならなかった。」

 と、いう言葉が嘘でないことは、そういう検証作業が何回も行われてきたのを知っているからですね。(今でもネット検索すれば、行われ続けたデマの検証作業の数々を見つけることが出来ますし)

 

 直接の利害が絡まなければ大抵の人は、正義が好きなのですよね。

 そして、どんな人でも自分がよく知っている地域のことや、自分の仕事に関わることについては、発信された情報がおかしいか、おかしくないかは判断出来るのですよ。

 「この情報はおかしい」と発信元へ告げた時の反応で、無知ゆえの誤解なのか、意図的に誤情報を流しているのかも分かる。そうなると、流されたデマの検証作業に協力する人は増えるでしょうね。

 

 この本、厳しい目は、自分達のイデオロギーや利益の為にデマを流した人達だけでなく、自分達が非難されることを恐れてデマを放置した国や自治体にも向けられていまして。

「個人が、メディアが、あるいはさまざまな意図を持った集団が流布した情報が事実と違っていても、その情報を流したからの脅迫や暴力を厭わない攻撃、印象操作を用いた嫌がらせ、その誤った情報を信じた人々からの非難や批判に晒されることを恐れて毅然とデマを否定しなかった。」

 と、はっきり政治と行政の「事なかれ主義」を断罪してますね。

 政治も行政も自分達が批判されることを恐れて「正しいことを伝えれば分かってくれる」「寝た子を起すな」とデマを否定する為に動くことには消極的だった。

 情報化時代では、溢れるゴミ情報に紛れて正しい情報に辿り着くのが困難になる。正しい情報を見つけてもらうには、事実をきちんと伝えると同時にデマの消し込みをしなければいけないという根本的なことを理解していなかった。

(このあたり、本当なら率先して、そのことに気づかなければならない政治や行政の長よりも、「事実」という灯篭の斧で抵抗し続けてきた市井の人達の方が経験知で先に理解していた、という点が皮肉ですね)

 

 この政治と行政の事なかれ主義による不作為が「反原発デマは日本の国際イメージを低下させる為に利用できる」と他国に日本を攻撃する為のプロパガンダの材料を与えることとなったのだから、「現代は情報戦の時代である」「情報戦略には何が必要なのか?」ということを理解していない人が組織の長であることは、もの凄く危険ですよね。

 

 確か書かれていたのは「戦争広告代理店」だったと思うけど、国際情報戦略について、国家の情報戦略を受託している情報戦略会社の人が情報のプロの戒めとして

「絶対にやってはいけないことは、事実ではない事実を本当であるとして流すことだ。それが明らかになった途端、それまで行って来たことは全て逆効果になる。絶対に嘘はついてはいけない。私達が行うことは、事実をいかにクライアントの利益に添う形で提供することだ」

 と語っているのに対し、著者から情報戦略の必要性を説かれた日本の政治家が

「そんな面倒なことをしなくても、こっちに都合の良いことだけを流せばいいじゃないか」

 と答えていて。これは日本が情報戦略で他国に遅れをとって当然だわ、と思ったのですが、この根本的な勘違いは権力を持つ側に属する方だけでなく、分類すれば反権力に与する側にも見られる傾向なんですよね。

 

 上野千鶴子さんは「古市くん、社会学を学び直しなさい」という本の中で「自分にとって不利なエビデンスはもちろん隠す。それが悪いと思ったことはありません」と語ってますしね。

 それでも上野さんは「自分にとって不利な事実は隠す」だけで「自分にとって有利な事実を作り上げる」をしていないだけマシかなあ。

どうもこの国、未だ「嘘も100ぺん言えば本当になる」を信奉している人が多そうですね。ゲッペルスがそれをやったのは70年以上前で、情報戦略の手法も変化しているのだけど。

 インターネット時代だと、デモも拡散しやすいけれど、デマを打ち消す情報も拡散しやすいからデモの消し込みもされやすいという結果が出ているのになあ。

 

 まあ、どんな悪いことにも良いことはあるもので、東日本震災後どれだけデマが撒き散らかされたのか。流された情報が本当かどうか検証するには、どうすればいいのかを見てきた人達の経験はコロナ禍で役に立ったのじゃないですかねえ。

 自分の思想や利益の為なら、容易く尤もらしい話を作り上げる人間があれ程多いということを知っていたら、「信用できる人からのここだけの話」に、すぐに飛びついて鵜呑みにすることは危険だと分かりますものね。

 

 

9で割れ

 先日、東京で原画展が開催された矢口高雄先生の銀行員時代の話が Kindle Unlimitedで読み放題になっていますね。

矢口先生の自伝自体が、今では変わってしまった当時の農村の生活の貴重な記録となっているという評価もありますが、それで言ったらこの話は昭和30年代から40年代の地方銀行員の生活は、どういうものであったのか、という記録でもありますね。

「ぼくの学校は山と川」は教科書にも採用されたそうですから、矢口先生の少年時代の話は読んだことはある人は多いのではないかと思いますが、大人になってからの話は読んだ人はどのくらいいるのかしら?

 

矢口先生、中卒で就職するところを担任の先生が

「こんな優秀な子を進学させないともったいない」

 とご両親をくどし落としてくれったから進学出来た人で(経済的にかなりきついから、お父様は悩んだのだけど、お母様が「先生がここまで言ってくださるのだから頑張ろう」とご夫君を説得されたのですよね)

 だから矢口先生の生まれた村では、先生が初めて銀行員になれた人で、そういうこともあってか当時の銀行員の生活がしっかり記録されているのが面白い。

 計算機もまだない時代だから、そろばん片手に業務にあたるのは想像出来たけど、銀行員に宿直があったとは知らなかったわ。ちょうど高度成長期に差し掛かった頃の銀行員だから、世の中の変化を実感出来る現場にいてお仕事楽しかったでしょうね。

 銀行員でなければ山林地主が保有する日本画の名画を直近で心ゆくまで堪能できるということはなかったでしょうしね。

「ほぼ独学で身につけた筈なのに、あの絵の上手さはなんだ⁉︎」

 と矢口先生については言われることだけど、生い立ちからくる観察眼に加え、青年期に名画を堪能出来た経験は大きかったでしょうね。

エネルギー革命中だったことに加え、戦後復興で木材需要の大きかった頃だから山林地主が豊かさを保てた時代の話ですね。

 地主が山の管理に悩む今とは時代の変化を感じますね。時代の変化を感じるといえば、ちょうど矢口先生の奥様が出産された頃が大方の出産が自宅出産から病院出産に変わる頃なのですね。

 義理ある助産師に気兼ねをしつつ

「でも、子供を産むなら安全に産みたい」

 と病院出産を選択した矢口先生の奥様のような選択が増えたから、病院で産むことが一般的になったのでしょうね。実際、妊産婦死亡率は病院出産が増えた頃から激減していますものね。

 矢口先生の奥様は、病院出産を選んだことで義理ある助産師に嫌味を言われておりましたが、助産師でも自宅出産が減ることを喜ぶ助産師もおりまして。理由は

「良かった〜!これで妊婦の状態が急変した時、お医者様と協力してお産にあたれる!」

 通常のお産なら、助産師一人でお産にあたっても問題はないのですが、お産て何が起こるか分かりませんからね。緊急時に自分だけで母子を救えるか?のプレッシャーから解放された喜びを語るお産婆さん(助産師さん)の記録が残ってますね。

 


 

 

 

 

犬の伊勢参り

「ハチ参る」の最初の方に参宮犬とは何か?について触れられておりますが、もっと深く参宮犬について知りたい人には、これがお勧めかも。

 この本、犬のお伊勢参りが何故起こったのか?何故廃れたのか?をそれぞれ記しているので、そこから色々と考えることができますね。

 

 

 

ハチ参る

遠藤さんといえば、遠藤さんの犬好きが色濃く出た作品がありましたね。

 江戸時代、お伊勢参りは庶民の憧れの的。とはいえ、交通機関が徒歩か馬だった当時、遠い伊勢まではなかなか行けるものではない。

そこで本人に代わって、お伊勢様に代参してくれる犬が現れます。

 これは怪我をした主人の為に参宮犬として、江戸からはるばるお伊勢様を目指すハチと旅の途中ハチが出会った人々との物語。

4コマ漫画の連作なので、基本的にはゆる〜い人情喜劇で、特にドラマチックな展開があるわけでもなく、またハチも忠犬ですが名犬ではなく普通のわんこなので、普通のわんこのダメっぷりもたっぷり見せてくれるのですが、この作品ダメなわんここそ可愛い❗️という飼い主目線をたっぷり堪能させてくれるのですよね。

 お正月くらい暗い話は聞きたくない。ゆる〜く頑張る犬と頑張る犬を助けるちょっとトボけた人々のほのぼの話が読みたいと思う方にはお勧めです。

 

 

退引町お騒がせ界隈

技術の断絶について色々と聞く機会がありまして。学校やアマチュアという形でも技術は伝えていけないだろうか。技術は断絶させないことが大事なんだとお聞きして、遠藤淑子さんの初期作にそういう話があったなあ、と思い出したりして。

 

失恋と進路決定時期が重なったので、誰も知っている人のいないところで新生活を、と親の反対を押し切って進学し、一人暮らしを始めようとした女子大生は、これから生活する筈の街についてから、自分が不動産詐欺に遭って入居する筈だったアパートがないことを知る。

親の反対を押し切って進学した手前、親には頼れない。同情した街の人が

「あそこならお部屋が空いているかも」

 と紹介してくれたのは、元はこの辺り一帯の領主だった古いお屋敷。もっとも先代の代に事業に失敗して残っているのは、この屋敷だけ。そして屋敷の方も「お屋敷」という言葉より「古い」という言葉が先に立つ代物。

 

現主人である若い主人は、彼女の境遇に同情して下宿させることを同意してくれたけれど、女子大生から見ると

「大家さん、とてもいい人だけど、働いている様子もないし、他に収入もあるようには見えないし、この屋敷には下宿人は私一人。こんなので大家さんの生活は成り立つのか?」

 と、心配する状況。もっとも大家さんと一緒に街を歩くと

「おや、若様、新しいお女中を雇われたのですか?」

 と、尋ねられ

「若様、これ商売ものですけど良かったらお持ちください」

「若様、何かお困りのことはありませんか?」

 と、商店街の人が寄ってくるので、商店街からのいただきもので大家さんの生活は困ることはない。

何故、商店街の人がこんなに大家さんを気にかけているかというと、戦後引き揚げてきて困っていた人々に同情した先々代が無償で土地を提供してくれたのが、ここの商店街の始まりなので、商店街の人々はその時の恩を忘れておらず、没落した元領主の家のことを気にかけている。

とはいえ、それはいつまで続くか分からないので、大家さんにしっかりとした収入の道を、と女子大生は色々提案するが上手くいかず、逆に「先代の借金の証書がある」

 と、押しかけてきた借金取りに

「あなたは私を不動産詐欺にかけた不動産屋!と、いうことはその証書も詐欺でしょ!」

 と言ってしまったことで、借金取りに乱暴されそうになり、それを収める為に大家さんは借金取りが欲しがっていた焼き物を証書と引き換えに渡してしまう。

「私のせいで家宝があんな人達の手に渡ってしまった」

 と落ち込む女子大生に大家さんは

「あなたの体には変えられません。それに焼き物はまた作れますから」

 と慰める。実は借金取りが欲しがっていた焼き物は大家さんが作ったものだった。借金取りが、それを家宝の焼き物だと思ったのは、それが今では失われた「幻の青」と呼ばれる製法で作られていたから。

 かつて人間国宝と呼ばれた人の死とともに、その製法は失われ「幻の青」は好事家達の間で高値で取引されていた。大家さんの家から取り上げられた焼き物を持ち込まれた美術商は

「確かに、この製法は幻の青だが年代が違う。いったい、どこでこれを?」

 と借金取りに尋ね、大家さんの家を尋ねてくる。ちょうどその時、大家さんは窯の前で女子大生に事情を説明しているところだった。

子供の頃から焼き物が好きだった先々代は、人間国宝の工房に度々遊びに行き、その製法を教えてもらっていた。

 でもその当時、華族の当主が焼き物で生計を立てるなど許されなかったので先々代は、あくまで趣味として焼き物を作っていた。そして、その趣味を大家さんにも教えていたので、途絶えていたと思われていた「幻の青」の技法は、人間国宝から先々代へ、先々代から大家さんへと伝わっていた。事情を立ち聞きした美術商は

「なるほど事情は分かりました。あなたの焼き物を拝見しました。素晴らしい。陶芸家として身を立てる気はありませんか?」

 と誘いをかけ修行ができる窯元への紹介を持ちかける。と、まあこんな感じのお話でして最後は修行するかどうかを決める為に紹介された窯元へ旅立つ大家さんに女子大生が恋の告白をするところで終わったのじゃないかな。

 遠藤淑子さんは、長年のファンにすら「あの絵で少女漫画界の荒波を渡り続けてきた遠藤淑子」と言われる人なのですが、読むと何故渡り続けられてきたか分かるくらい名言が多い人なのですよね。

 

この本、とある街に住む人々の話を描いたオムニバス短編集なので、女子大生と大家さんの話以外も色々あるのだけど、犬好きの人は長年飼っていた犬を亡くした女の子の話はうるうるくるとくるのじゃないかな?

 亡き愛犬を埋めた後

「もう動物は飼わない 死んだら動物がかわいそう」

 という女の子に

「変な理屈」
 という女の子のお兄ちゃんの台詞がいいんですよね。

「死んだらかわいそうなのは動物じゃなくて 自分がかわいそうなんだろ。可愛がってた動物が死んだら悲しいのは当たり前だ。死んじゃったらいっぱい泣いてやらないと それこそかわいそうだ」

 この後に続く台詞は、多分犬好き号泣だと思うので機会があったら手にとってみてください。

 アパート一女性らしい渚ちゃんのところへ

「男は男らしくせんか!」が教育方針の渚ちゃんのお父さんが訪ねてくる話もいい話だったなあ。

 この話、「渚兄ちゃんは、こんなにいい人なのに」と考え込む小学生の太一くんの視点も好き。

 

 

 

 

百姓の百の声

「農業」分野の倒産は20年間で最多ベースと伝えられておりますが、かといって私は日本の農業にも農家にも絶望しているわけではなくて、国や社会が才覚ある農家の足を引っ張らなければ何とかなるんじゃないかな、とも思っています。

www.tsr-net.co.jp

この映画を観に行った日は監督も舞台挨拶の為に来られておりまして、色々お話をお聞きしたのですが、その一つに

「僕、昔、『農水省が注目する活躍農家さん』のドキュメンタリーを撮ったんですよ」

 という話がありまして。そのドキュメンタリーを撮ってから20年後、「あの時の農家さんは今どうしているか?」という後日談を作成してNHKで流したそうです。

「20年後、農水省がアピールしたかった注目農家さんは、ほとんど残っていませんでした」

 そう言われた後、続けて

「今日の映画に出てもらった農家さん達は20年後も生き残っているでしょうね」

 と、話されました。何か、凄く納得出来る気がします。この映画に出演した農家さん達は、国の言うことや世の中の流れに素直に従うような面構えしていませんもの。

 農家って、総合科学なんですよね。天候や気温、土壌の状態、様々な事象から情報を読み取って望む収穫を目指すわけです。だから国の言うことや、世の中の流れも、彼らが読み取る情報の中の一つでしかない。

「そうは言うけど、それがうちの経営に役立つのかねえ?」

 と、国が進めたがっていることを咀嚼して、自分達に役立つように取り入れることが出来た人達だけが生き残る。世の中が、スマート農業だ、無人ラクターの時代だと持ち上げても

「実際にやってみたら、このままじゃ使えないなあ。使えるようになるには工夫する必要があるなあ」

 と、新しい技術を、自分の持っている技術と併せて、使いやすいように改良し、望む成果を出した人達だけが生き残る。

 

 百姓という言葉は、今では放送禁止用語として公の場では使われなくなってしまいましたが、この映画に出てくる農家さん達は誇りを持って自分達のことを百姓と自称していますね。

 百姓=百の仕事を持つ人。百の仕事が出来る技術を持つ人。

 荒川弘さんの「銀の匙」の中で、娘の先輩が、移動式ピザ窯を作ってピザを売り始めた光景を面白そうに眺めていた農家さんが、どうもピザを売るよりピザ窯を売った方が儲かりそうだと方向転換した先輩からの

「よかったら、お一ついかがですか?いつもお世話になっているからお安くしておきますよ」

 と、いう言葉に、にっこり笑って

「自分で作れるやつを買う馬鹿はいないなあ」

 と、自分達も倉庫にある資材を使って、ピザ窯作り始めてしまう場面があるのですが、この映画に出てくる農家さん達、皆そんな感じ。何か、良さそうなものがあるから、自分達も作っちゃえ。

 作り方が分からないなら、分かっている人のところに頼み込んで弟子入りしちゃえ。この映画観てると、農業ってオープンソースなのだな、ということが良く分かる。

 良い技術、良い種子は公開して分け与える。分け与えられた人が、その技術や種子を改良して、それをまた更に公開する。そうすることで技術が変化する。

 経済の論理で種子を独占しようとするバイオメジャーが、世界各国で摩擦を起こしている理由がよく分かる。あれ、伝統的な農家の論理と外れているのよ。

 知財という論理で考えると「権利者の権利を守らないとダメだろう」になるけれど、「種子」という論理で考えると「勝手に交配出来ないのなら、良い種と種を組み合わせて、新しい品種を生み出すことが出来ないじゃないか」というなりますからね。

 種子流出の話は映画の中でもチラリと出てきまして、シャインマスカット農家さんが、海外で栽培されるシャインマスカットについて、どう思うか、と聞かれて

「海外でもシャインマスカットのことを知られているなら、日本のシャインマスカットを売り易くなるんじゃないですかねえ。知られていないものは売りにくいから。」

「『シャインマスカットは、他でもあるけど、日本のマスカットはちょっと違う』そう思ってもらえるようになるといいんじゃないですかねえ。俺、そういうマスカットを作る自信がありますし」

 と、答えておりまして。実際、種子を持ち出されたシャインマスカットは栽培技術がないので日本のシャインマスカットとは同じ味にはならないという話もありますものね。

(もっとも和牛農家が、警戒しているのもこの点なのですよね。和牛人気で海外からも「和牛の精子を売ってくれ」攻勢が凄くて。でも日本の和牛は養育技術があってはじめて、美味しいお肉になるので、ただ和牛の種で生まれた牛というだけでは美味しいお肉にならない。

和牛の精子で生まれたからと海外産「ワギュー」が増えると、初めて食べた人が「こんなものか」と思って和牛のブランド価値が落ちる、と)

 この映画、荒川弘さんの「銀の匙」もそうだけど、「百姓貴族」が好きな人は、多分好きだと思う。出てくる農家さん、農家さん、荒川さんの「あの」お父様とイメージが被りますもの。

 「苦労ばかりして儲からない可哀想な農家」ではなく、「その人しかない技術を持ったパワフルなプロフェッショナル達」なんですよね、この映画の農家さん。日本の農家の持つ技術の高さが良く分かる。

(最も江戸時代から、日本の農業技術、栽培技術は世界トップクラスなのですけどね。幕末から明治期にかけて欧州から来日したプラントハンターが「宝の山だ!」と狂喜乱舞して、日本の植物を買い漁ったのは有名な話だし)

 

 映画を観た後、監督に

「どうして、こういう農家さんの映像は少ないのでしょう?」

 と、訊ねたら

「撮る側に農業に対する知識がないからでしょうね」

 と、あっさり言われました。

「それと撮る側が『視聴者は、可哀想な農家、苦労している農家の姿を観たいと思っているだろう』と思っているからじゃないですかねえ」

 と、続けられました。監督は、そういう映画は撮りたくなかったので、農文教の編集部にいる同窓生に

「『この人は、凄い』と思う農家さんを紹介して欲しい」

 と頼んで、色々な農家さんを紹介してもらったそうです。JAじゃなくて、農文協への依頼というのがいいですよね。農家が興味を持ちそうな本ばかり出している農文協なら、農家の生の声が集まりやすいから確かな情報を持っているでしょうし。

 

 監督、撮影を始めた頃は農家さんの話している言葉の意味が分からなくて(何を話しているかが分かる程の農業知識がないので)、もの凄く苦労されたとか。

 

 あと、この映画のナレーションは現役の農家の女性達です。プロのアナウンサーを使うと他人事のようになりそうで嫌だったので、農家さん向けのサイトでナレーションしてくれる女性を募集したところ、全国からドッと応募があったそうで。

「農家の女性達って、何かやりたい人がもの凄く多いんです。『農協は、男社会でつまらないから参加したくない。でも、何かやりたい』

そういう人が多いから、こうして水を向けると何かやりたい人が集まってくれます」

 ちなみに、この映画のパンフレット、百姓の視点から見た戦後農業史が年表となって書かれているので、とても楽しい。歴史は誰の視点から語るかで見方が変わってきますからね。

 このパンフレットだけ欲しがる農家さんがいたというお話を聞いたけど、分かる

www.100sho.info

わ〜。ドキュメンタリーは上映期間が短いから、(ちなみに横浜だとジャックアンドベティで23日までです)上映に間に合わなかった人はパンフレットだけでも手に入れと面白いかもしれませんね。

 上映館はパンフレットの通販をしてくれるところも多いし。参政党の主張に乗せられるくらい、日本には農業の実態についてよく知らない人が多いようだから、ポピュリズムに満ちたトンデモに乗せられないように、ちゃんとした農業についての知識を得ることは悪いことではないのじゃないかなあ。

 よく知らないことについて、ちゃんと知るということは面白いですね。

www.100sho.info

遺体: 震災、津波の果てに

 モデルとなった人がその後しでかしたことでミソがついた感はあるけれど、それでもやっぱり震災当時の行動は褒められるべきだと思うし、この本は名著であると思うんですよ。

 

 東日本震災時の石巻で、ビニールシートに包まれ、体育館に運ばれた死体を御遺体として荼毘する為に力を尽くした人達の物語。西田敏行さん主演で映画化もされましたね。

 西田さん、福島出身だから被災した人、災害に打ちのめされず、なんとか立ち向かおうとする人に思い入れがあるのでしょうね。

 震災で被害を受けた地域の中で、石井さんが何故、石巻の話が取り上げられたかというと石巻は地形のおかげで直接的な被害を受けない地域があったのですね。

 だから無事だった地域では、町の機能が残っていたのです。

 狭い地域で明暗がハッキリと別れた。無事だった地域の人達が、自分達がよく知る人達が住む町で遺体の探索や安置所の管理を行うことになった。

そこに震災によって故郷が壊滅的被害を受け、多数の死を目にしたという業を背負って生きていこうとする人間の姿があるのではないか、と石井さんは考えたのです。

 谷崎光さんが「男脳中国、女性脳日本」という本の中で、男性的な中国文化と比較すると日本は女性的な文化だと書いていたけれど、確かにこの本に記される石巻の人々の優しさと繊細さを思うと、それは当たっているかもしれないと思いますね。

 母親が傷ついた子供の為に必死になって、その傷を癒そうとするように、市の半分が壊滅した街で死者の尊厳を守る為に己の力を尽くす人々。

 体育館にずらりと並んだ遺体。生き延びた、この市の誰かが必死になって探しているかもしれない遺体。あまりの数の多さに物のように安置するしかない遺体。

 彼らを、お家に帰してあげたい。今はそれが叶わないなら、せめて人としてちゃんんと弔ってあげたいと思うのは人間として当然の情ですよね。

 震災の時、華道家假屋崎省吾さんが東北に大量のお花を送って喜ばれたという話も聞きましたね。

 自分の家族を見送る時に花も無いのは耐えられないだろう、と思ってのことだったそうですが、家族のお葬式もあげることも難しい被災地の方に喜ばれたそうですね。

せめてお花だけでもあげられるのと、お花すらあげられないのでは残された家族の辛さが違いますよね。

 

 この本、内容が内容なのでプライバシーに気を遣ってほとんどの人は仮名となっているのですが、初版の時は仮名だった人が再版された時に本名になっている例もあるんですよね。

生後まもない赤ちゃんの遺体を荼毘する話があるのですが、この本が出版された後、ご両親がそれを読んで

「これは、もしやうちの子では」

 と出版社経由で石井さんに連絡を取ったそうです。家ごと津波で流されてご両親は助かったけれど赤ちゃんは助からなかった。家ごと流されてしまったので赤ちゃんが着ていた服もない。写真も残っていない。

うちの子が確かにこの世にいたのだと証明するものが何もない。

 そういう状況で石井さんの本を読まれたご両親は、せめて本の中だけでも「うちの子が生きていたという証を残したい」と仮名であった赤ちゃんの名前を本名に変えるように石井さんに頼まれたそうです。

 自分の大事な人々が、最初からこの世にいなかったように消えてしまうのは耐えられない。

 きっとそう思う人はいるだろう、と手を尽くし続けて人々。そこに無情な自然に抗う人の想いがありますね。。

 

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)