木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

「正しさ」の商人

震災の後、各地域に残っていた後世への警句を記した石碑が話題になっていましたが、これは「災害時における情報災害がどれほど被害を与えるのか?」ということを身をもって体験した福島県民が、自分達と同じように長期間情報災害で苦しめられる人が生まれないことを願って執筆した本です。

 

東日本震災は被災地域に大きな打撃を与えましたが、福島の被害が他地域と異なるのは、震災による被害に加えて、原発事故のおかげで望まぬイデオロギー闘争に巻き込まれてしまったからなのですよね。

この本、著者が後書きで

「本書は出来うる限り『イデオロギー(党派性)』ではなく、『ファクト(事実)』の書にしようと努めてきた。

書中でも述べてきたように本書の目的はただ一つ『今後の社会における情報災害の発生抑制および被害低減』という公益性を求めることにあるからだ」

 

「私は『情報災害』のさらなる被害を止める一助となることを願って本書を執筆した。

そこには東電福島第一原発の事故による災害の『情報災害』に翻弄された一人の福島県民として『未来への引継ぎ』のような祈りにも似た感情がある。

この記録が、願わくは現状のような党派的なしがらみが無くなった未来の研究者あるいは政治家の方に研究資料の一つとしてでも使っていただいたり、そのことによって、これからも多くの災害に立ち向かわざるを得ないであろう、この国、この社会に生きる未来の世代に降りかかる不幸を僅かでも小さくできたならば著者としてこれ以上の幸せはない。」

 と書いているのは、そう書かざるをえない状況を体験したから。事実よりもイデオロギーを大切にする人達の正義に苦しめられ続けてきたからなのですね。

 

 この本、最初に読んだ時、ペシャワール会中村哲先生の著書を連想しましたね。アフガニスタンの大干魃について

「こんな状況、小さなNGOには手に負える筈がない。いつか世界が気づいてくれる。いつか助けが来てくれる。その時まで、人々が生き延びられるよう頑張るんだ。

 そう思って耐えてきた人々のもとにやって来たのはアフガニスタンへに支援ではなく空爆だった」

 と、911後に起きたアフガニスタン空爆について語っていましたが、この本の著者の林さんが体験した状況がまさにこれでして。

 

「いつかメディアがこの状況を変える情報を流してくれる。デマを打ち消す正しい情報。ちゃんとした『福島の今』を伝えて、この窮状から救ってくれる。そう思って頑張ってきたのに、そんなことは起こらなかった。

『マイノリティや弱者の味方』を名乗る人達は、ちゃんとした事実、誤解のない『福島の今』を伝えるよりも、彼らの主義、思想、功名心、商売にとっては有益となる情報を伝える方を優先した。それが事実か、そうでないかは『彼らにとって有益か?否か?』より後回しにされた」

 事実よりも「商品として情報」自分達にとっての正しさ」の方が優先なんだと見切られてしまったのですね。震災後も延々続く情報被害の中で、国やメディアに期待するのは無駄だ。 

 党派性に左右されない「福島の今」を伝えて、情報災害から故郷を守るためには自分達が動くしかないと。

 

「東日本震災後、情報災害に晒された人々は、自分達に加えられ続けられた情報加害に抵抗する為に市井の人々の協力のもと『マイノリティや弱者の味方』を掲げ続けてきたジャーナリズム、アカデミズム、政治家、人権家団体が流した彼らの主義、思想、功名心、商売にとっては有益となる情報が、本当のことなのか?事実を集め、検証を繰り返し、

『【マイノリティや弱者の味方】を名乗る人達が、反原発の主張の為に流した情報は事実ではない。印象操作によるデマである』

 というデマの消し込みを、自ら行い続ければならなかった。」

 と、いう言葉が嘘でないことは、そういう検証作業が何回も行われてきたのを知っているからですね。(今でもネット検索すれば、行われ続けたデマの検証作業の数々を見つけることが出来ますし)

 

 直接の利害が絡まなければ大抵の人は、正義が好きなのですよね。

 そして、どんな人でも自分がよく知っている地域のことや、自分の仕事に関わることについては、発信された情報がおかしいか、おかしくないかは判断出来るのですよ。

 「この情報はおかしい」と発信元へ告げた時の反応で、無知ゆえの誤解なのか、意図的に誤情報を流しているのかも分かる。そうなると、流されたデマの検証作業に協力する人は増えるでしょうね。

 

 この本、厳しい目は、自分達のイデオロギーや利益の為にデマを流した人達だけでなく、自分達が非難されることを恐れてデマを放置した国や自治体にも向けられていまして。

「個人が、メディアが、あるいはさまざまな意図を持った集団が流布した情報が事実と違っていても、その情報を流したからの脅迫や暴力を厭わない攻撃、印象操作を用いた嫌がらせ、その誤った情報を信じた人々からの非難や批判に晒されることを恐れて毅然とデマを否定しなかった。」

 と、はっきり政治と行政の「事なかれ主義」を断罪してますね。

 政治も行政も自分達が批判されることを恐れて「正しいことを伝えれば分かってくれる」「寝た子を起すな」とデマを否定する為に動くことには消極的だった。

 情報化時代では、溢れるゴミ情報に紛れて正しい情報に辿り着くのが困難になる。正しい情報を見つけてもらうには、事実をきちんと伝えると同時にデマの消し込みをしなければいけないという根本的なことを理解していなかった。

(このあたり、本当なら率先して、そのことに気づかなければならない政治や行政の長よりも、「事実」という灯篭の斧で抵抗し続けてきた市井の人達の方が経験知で先に理解していた、という点が皮肉ですね)

 

 この政治と行政の事なかれ主義による不作為が「反原発デマは日本の国際イメージを低下させる為に利用できる」と他国に日本を攻撃する為のプロパガンダの材料を与えることとなったのだから、「現代は情報戦の時代である」「情報戦略には何が必要なのか?」ということを理解していない人が組織の長であることは、もの凄く危険ですよね。

 

 確か書かれていたのは「戦争広告代理店」だったと思うけど、国際情報戦略について、国家の情報戦略を受託している情報戦略会社の人が情報のプロの戒めとして

「絶対にやってはいけないことは、事実ではない事実を本当であるとして流すことだ。それが明らかになった途端、それまで行って来たことは全て逆効果になる。絶対に嘘はついてはいけない。私達が行うことは、事実をいかにクライアントの利益に添う形で提供することだ」

 と語っているのに対し、著者から情報戦略の必要性を説かれた日本の政治家が

「そんな面倒なことをしなくても、こっちに都合の良いことだけを流せばいいじゃないか」

 と答えていて。これは日本が情報戦略で他国に遅れをとって当然だわ、と思ったのですが、この根本的な勘違いは権力を持つ側に属する方だけでなく、分類すれば反権力に与する側にも見られる傾向なんですよね。

 

 上野千鶴子さんは「古市くん、社会学を学び直しなさい」という本の中で「自分にとって不利なエビデンスはもちろん隠す。それが悪いと思ったことはありません」と語ってますしね。

 それでも上野さんは「自分にとって不利な事実は隠す」だけで「自分にとって有利な事実を作り上げる」をしていないだけマシかなあ。

どうもこの国、未だ「嘘も100ぺん言えば本当になる」を信奉している人が多そうですね。ゲッペルスがそれをやったのは70年以上前で、情報戦略の手法も変化しているのだけど。

 インターネット時代だと、デモも拡散しやすいけれど、デマを打ち消す情報も拡散しやすいからデモの消し込みもされやすいという結果が出ているのになあ。

 

 まあ、どんな悪いことにも良いことはあるもので、東日本震災後どれだけデマが撒き散らかされたのか。流された情報が本当かどうか検証するには、どうすればいいのかを見てきた人達の経験はコロナ禍で役に立ったのじゃないですかねえ。

 自分の思想や利益の為なら、容易く尤もらしい話を作り上げる人間があれ程多いということを知っていたら、「信用できる人からのここだけの話」に、すぐに飛びついて鵜呑みにすることは危険だと分かりますものね。