黒澤明の「生きる」を、カズオイシグロ脚本でリメイクしたものですが、違和感仕事しろと思うくらいイギリス映画でしたね。
出たしから、「ああ、カズオイシグロの世界だ」という感じなのですが、カズオイシグロ、オリジナルの「生きる」のこと、どれだけ好きなの。
画面にほとばしるオリジナルへの愛とリスペクト。
ほとばしると言っても映画自体はイギリス映画らしい抑制がきいてまして。この静謐さがあるから
「紳士になりたかったのに、いつのまにかゾンビになっていた」
と、いう言葉に説得力があるのですよね。
そして父と息子というのは面倒いよねえ。母と娘も面倒いけど、父と息子の面倒くささは、それとは違ったものはあるよね。
(息子が「父は自分のことを知っていたのだろうか?」と聞く場面で、今年の大河の今川氏真を連想してしまいましたよ。
どちらの息子も聞くべきなのに聞かないし。父親の方も言えばいいのに言わないし)
志村喬が
「いのち短し 恋せよ乙女 あかき唇 褪せぬ間に」
と、「ゴンドラの歌」を歌うのに対し、ビル・ナイが歌うのがスコットランド民謡の「ナナカマドの木」を歌うのが良いですよねえ。
「ああナナカマドの木よ、いつも懐かしく思い出す、幼き日の思い出に、優しく寄り添う木」
舞台がロンドン近郊だから、イングランドに暮らすスコットランドの末裔が、亡き妻もスコットランドの血を引いていたと言うのですよね。
それだけで、彼がかつて「生きていた」時代があったことを、初めからゾンビでなかったことが分かる。
ゾンビだった人が、人として死んだ。死を前にして人に戻って死んだ。
素晴らしいことをしたことの報酬は、それをやり遂げたのが自分だということだけだ。
どちらの映画も、その喜びを示す歌声で終わりましたね。