木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

遺体: 震災、津波の果てに

 モデルとなった人がその後しでかしたことでミソがついた感はあるけれど、それでもやっぱり震災当時の行動は褒められるべきだと思うし、この本は名著であると思うんですよ。

 

 東日本震災時の石巻で、ビニールシートに包まれ、体育館に運ばれた死体を御遺体として荼毘する為に力を尽くした人達の物語。西田敏行さん主演で映画化もされましたね。

 西田さん、福島出身だから被災した人、災害に打ちのめされず、なんとか立ち向かおうとする人に思い入れがあるのでしょうね。

 震災で被害を受けた地域の中で、石井さんが何故、石巻の話が取り上げられたかというと石巻は地形のおかげで直接的な被害を受けない地域があったのですね。

 だから無事だった地域では、町の機能が残っていたのです。

 狭い地域で明暗がハッキリと別れた。無事だった地域の人達が、自分達がよく知る人達が住む町で遺体の探索や安置所の管理を行うことになった。

そこに震災によって故郷が壊滅的被害を受け、多数の死を目にしたという業を背負って生きていこうとする人間の姿があるのではないか、と石井さんは考えたのです。

 谷崎光さんが「男脳中国、女性脳日本」という本の中で、男性的な中国文化と比較すると日本は女性的な文化だと書いていたけれど、確かにこの本に記される石巻の人々の優しさと繊細さを思うと、それは当たっているかもしれないと思いますね。

 母親が傷ついた子供の為に必死になって、その傷を癒そうとするように、市の半分が壊滅した街で死者の尊厳を守る為に己の力を尽くす人々。

 体育館にずらりと並んだ遺体。生き延びた、この市の誰かが必死になって探しているかもしれない遺体。あまりの数の多さに物のように安置するしかない遺体。

 彼らを、お家に帰してあげたい。今はそれが叶わないなら、せめて人としてちゃんんと弔ってあげたいと思うのは人間として当然の情ですよね。

 震災の時、華道家假屋崎省吾さんが東北に大量のお花を送って喜ばれたという話も聞きましたね。

 自分の家族を見送る時に花も無いのは耐えられないだろう、と思ってのことだったそうですが、家族のお葬式もあげることも難しい被災地の方に喜ばれたそうですね。

せめてお花だけでもあげられるのと、お花すらあげられないのでは残された家族の辛さが違いますよね。

 

 この本、内容が内容なのでプライバシーに気を遣ってほとんどの人は仮名となっているのですが、初版の時は仮名だった人が再版された時に本名になっている例もあるんですよね。

生後まもない赤ちゃんの遺体を荼毘する話があるのですが、この本が出版された後、ご両親がそれを読んで

「これは、もしやうちの子では」

 と出版社経由で石井さんに連絡を取ったそうです。家ごと津波で流されてご両親は助かったけれど赤ちゃんは助からなかった。家ごと流されてしまったので赤ちゃんが着ていた服もない。写真も残っていない。

うちの子が確かにこの世にいたのだと証明するものが何もない。

 そういう状況で石井さんの本を読まれたご両親は、せめて本の中だけでも「うちの子が生きていたという証を残したい」と仮名であった赤ちゃんの名前を本名に変えるように石井さんに頼まれたそうです。

 自分の大事な人々が、最初からこの世にいなかったように消えてしまうのは耐えられない。

 きっとそう思う人はいるだろう、と手を尽くし続けて人々。そこに無情な自然に抗う人の想いがありますね。。

 

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)

遺体: 震災、津波の果てに (新潮文庫)