木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか?

 友達に「脈絡のない本棚だ」と言われる程度に乱読するせいか、著者の国も異なるのに「対になるようなことを書いているな」と思ったり「まったく同じことを書いているな」と思うことがたまにあります。

 この二つ、続けて読むと「短所は長所、長所は短所」というのが分かりやすいな、と思ったのは「英国労働者階級の反乱」と「津波の霊たち」なのですが、「ポパティー・サファリ」を読んでいたら、この本と同じように

「虐待された子供を救うことは将来の犯罪を防ぐことだ」

「虐待された子供に涙する人が、虐待された子供が殺されず生き延びて犯罪者となった時、かつての虐待児を憎悪する」

 というようなことを書かれていて。国は違えども、貧困という文化がどういうものをもたらすのかを知っている人が同じことを書いてるのは興味深いな、と。

 

「ポバティー・サファリ」の著書は自分が生まれ育った階層のことだから、理解しようとしない人達に向けて、そのことを書けるのは(書ける能力を身につける為の努力を差し引けば)当然のことだけど、石井さんは自分でも書いているように家庭環境にも恵まれた世田谷育ちの中間層出身者だから、「ポバティー・サファリ」の著書と同じ認識にいたったのは長年の取材の賜物。

「知ろう、知りたい」という意志の表れでしょうね。

 わりと、こういうフラットな意志を保てる人は少なくて、「ポバティー・サファリ」の著書が

「貧困とその原因や影響についてぼくが理解を深めて意見を述べるようになると、あまりいい顔をされなかった。

『予算を決定するのは誰ですか?』

『貧困があるからこそ。あなた達の仕事が全部成り立っているんですよね。だとしたら、どうやって貧困を解消できるんですか?』

こういう質問をすると周りの人達は落ち着かない様子を見せた」

 と書いているように「可哀そうな貧しい人々」だけを必要としている人達はいるし

「左派は体制のせいで貧困が起こると考え、右派は体制には何の問題もなく貧困は自己責任によるものだと考える。だがこの二項対立は、当の貧困コミュティを置き去りにしてきた」

 という指摘はイギリスに限った話でもないですよね。

 

 石井さんの場合は「何故?」という疑問から見つめ続けているから、この二項対立に嵌まらないのかな?

「何故、被害者は殺されなければならなかったのか?」「何故、被害者の遺族は『何も悪いことはしてないのに、どうして?』と嘆き続けなければならなかったのか?」「どうすれば、こんなことが起こらなかったのか?」

 そこをたどり続けると、「もし、この時この子供が救われていたら、被害者は死なずにすんだのでは?」という疑問が出てきてしまうのでしょうね。