木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

人の子にとっての永遠

萩尾さんの本の木原さんがとても木原さんらしくて素敵だったので思い出したのだけど

鬼滅の刃の作者さん、絶対に家にあるお母さんがおばさん(年代からいって、おばあさんまではいかないと思うけれど)の蔵書を読んで育ちましたよね。

 鬼滅の刃を読む前に

「あの作者、絶対に萩尾望都好きだろう」

 という言葉をどこかで見かけて、兄妹が主人公というのは知っていたので

「ああ、エドガーとメリーベルね」

 と思ったのですが(もっとも吸血鬼になってしまった後は、兄に守られる儚げな存在となってしまったメリーベルと違って鬼滅の妹は、ビシバシ鬼と戦って兄を守っていますが)、無限列車の煉獄さんの台詞で、この人たぶん木原敏江も好きだよな、と。

 あれ見て、「銀河荘なの!」を連想したのは私だけではないですよねえ。

「人生たかが100年たらず。汗にまみれて働いて、つかのま恋して、年老いて」

「私達はそれを生きるというのです!」

 というヘルメス教授とミスクィーンの会話を覚えている人なら

「おまえも鬼にならないか」

 のあたりから、あら懐かしいと笑うよねえ。ヘルメス教授はミスクイーンを勧誘はしてないのだけど、鬼の言葉を(吸血鬼だって鬼だよねえ)、人が否定しているというところは似てますよねえ。

「いいの、私は儚い命の人の子で。私は死んでも想いは残り、その思いは別の誰かに受け継がれ。人の子にとっての永遠というものはそういうものだと私は思うから」

 ミスクイーンのモノローグもお館様の言葉を連想させますよね。子供の頃読んで好きだったものって、無意識に自分の血肉になっていますから絶対どこかに影響が残りますよね。

 萩尾さんと木原さん、対談記事も出るくらい仲の良いお友達ですが、中島梓さんが

萩尾望都は、吸血鬼になってしまった人間を描き、木原敏江は人間としての吸血鬼を描いた」

 という評を書いてましたね。

萩尾望都は、時においていかれる吸血鬼の哀しみを描き、木原敏江は、時が受け継がれていくことを信じる人間賛歌を描いた」

 と記した言葉は、それぞれの作家性の違いを表しているようで面白かったなあ。

鬼滅の刃の作者さんが古い少女漫画が好きだろう、というのはただの想像でしかないのですけどね。

そういう過去の名作が作者さんの中で蓄積され、醸されて新たな形で現代の大ヒット作が生まれたと思うと「想いは残り」というそれぞれの作品の中の言葉と重なりますよね。

そういえば、木原さんの鬼のシリーズも面白かったなあ。大江山も菊花の契りも木原さんらしいアレンジが効いていて私は好き。

こういう面白い換骨奪胎があると、元の作品はどういう話だろう?と興味がわくから原典を手に取る人も出てくるでしょうね。