木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

同期生

エンタメ産業には少女の欲求や願望が素直に出るよね、で思い出したのですが、これ面白かったですね。何故、タイトルが「同期生」なのかというと、この3人、同時期に同雑誌デビューなんですね。

竹宮さんが「少年の名はジルベール」で書いていたけど、70年代って「新しいことをやろう。今までにないことをやろう」という気風が凄く強いのね。特に少女マンガ畑だと、編集者の

「女の子って、こういうものが好きだよね」

 に対しての

「違うわ!私も読者もそんなものは求めてないの!私が描きたいのは、こういうものだし、読者が求めているのは、こういうものなの。違うというならアンケートで結果出してやるわ!」

 という対立が凄く面白い。70年代が革命の時代と言われる所以でしょうね。

 少女マンガの二代派閥と言えば、集英社系と講談社系の分かれるのでしょうけど、昔の少女マンガを読んでいると講談社系の方が保守的というかオーソドックスな印象がありますね。

 70年代の講談社系で夫や子供を捨てても自分の夢(仕事)を選ぶという女性が、欠点も含めて説得力のある魅力的な女性としてかかれた例はあまり思い浮かばないし。(大和和紀さんの作品にも、そういう母が出てきた気がするけど、あれファムファタル系の身勝手な女性としていて描かれていたような)

「デザイナー」で主人公が自分たちを捨てた母親に

「あなたこそ、本当のデザイナーだわ」

 と言っているから、母親としては最低でも同じ職業の先達としては尊敬に値する凄い人だと認めているんですよね。

 それにしても、あれ掲載誌が「りぼん」だというところが凄いよねえ。あの愛憎劇を70年代小中学生は毎回ハラハラしながら読んでいたわけですよ。一条さんの人気を決定づけたと言われるのがあれだし。一条さん自身も

「あれで自分が描きたいものを描けば読者がついてきてくれると自信がついた」

 と書いていますし。

 あと、一条さんてもの凄く自己プロデュースに長けている人なんですよね。それこそ、これからどうやってキャリアを形成していったらいいかを悩む学生は、この本を読めと言いたくなるくらい。

 中学生の時点で「将来は漫画家になりたい」その為には、どちらの高校に進学すればいいのか?を考えて。マンガを描く時間を取りやすい商業高校を選ぶか。大学への進学を考えて普通高校である進学校を選ぶか。 

 この二つのどちらかを選ぶか悩んで考えて、大学よりも漫画家がいい、で商業高校を選んだのですわ。「あれだけ悩んだことはなかった」と未だに記すくらいの決断を中学生が一人で考えて決めたんですものね。

 漫画家になってからも編集者に

「読者アンケートを見せてください。良いものはいりません。悪いものだけ見せて。それから参考にしたいからアンケート一位になった方への読者からの反応も見せてください」

 と依頼して、見せてもらい、自分とアンケートトップとの反応の違いはどこか。自分のどこが読者に受けているのか。トップの人が持たない自分だけの特性、読者を魅了している点はどこかを徹底分析しているんですよね。(この時、一条さん10代か20代そこそこよ。さすがトップランナーは違う)

 徹底的に自己分析、自己プロデュースしている一条さんに対し

「僕、編集者に色々言われたことはありません。自分の好きなものを好きなように描かせてもらいました」

 という弓月さんの話も面白かったですわ。

「少女誌と青年誌で内容を変えようと思って描いたことはないですね。基本、描く姿勢は同じです」

 私、弓月さんの青年誌の作品をそんなに読んだことはないのだけれど、少女誌の頃とあんまり変わった印象はないよね。変わったのは性描写が大人向けになったくらいかな。

 まあ、それは対象読者が成人前の人を想定しているか、成人後の人を想定するかの大人の良識だろうし。可愛い女の子大活躍、脇を固める常識ある大人という構図は変化がないような。

 弓月さん自身が「自分の意思のある男の意のままにならない女の子の方が描いていて楽しい」という人であるせいもあるのでしょうね。

自殺しようとして死にかけていた主人公の脳を女の子の体に移植してしまう話なんて今読んでも面白いし。

 あれ主人公を脳移植した医者は、まごうことなきマッドサイエンティストなのだけれど、その動機が、最愛の妻が若くして脳腫瘍で死んだ、という現実を受けいれられない。なんとかして亡き妻を生き返らせる、だから少女受けしたのでしょうね。

 妻が生きかえらない研究なら続けても無駄だから、成果が出ていてもさっさと別の研究に切り替えてしまうし。少女マンガは目的が愛であれば、わりとなんでも許される。

 主人公の脳を元の体に戻すか悩んでいる時、夢の中で再会した妻に

「あなたの愛したのは私の体だけだったの?」

 と尋ねられて

「そんなことない、そんなことないよ。僕が愛したのはおまえの存在全てなんだよ」

 と、言いつのるところなんて、絶対少女受けするよねえ。

 それにしても、あの主人公、結果として男性なのに妊娠、出産を体験してしまっているんですよねえ。妻が亡くなる前に妊娠していたと知ったマッドサイエンティストが、主人公を元の体に戻さないのは当然だけど、あれをドタバタコメディとして成立させているところが弓月さんの凄さですよね。

 和田慎二さんもそうだけど、男性少女漫画家ってSF、アクション、ミステリーが得意な印象があるから「こういうのが読みたいのよ!」という読者の要求と「僕、こういうの描きたいです」という作家側の要求がピッタリあったのでしょうね。

 鬼滅の刃、結構残酷な描写もあったりするので子供への悪影響を心配する声もあったりするけれど、フィクションをフィクションとして楽しんでいる限り心配はいらないのじゃないかな?

 少女マンガでも結構残酷な描写はあったもの。ホラーは言わずもがなだけど、SFやアクションでリアリティを追求すると、どうしてもそうなりますよね。そのあたり弓月さんはギャグで上手く誤魔化してますけどね。

(もっとも弓月さんも「両親が義母に子供を預けて旅行に出かけた時に、祖母が脳溢血を起こして倒れたら、残された赤ちゃんは一人でどう生き延びるのか?」というリアリティを追求した大変怖い作品がありますけどね)

結局、トップランナーであり続ける人って人間観察力が、もの凄いんですよね。「人間って、こういうものだよね」という引き出しを本当に沢山持っている。

 そこに善悪や優劣をつけるのではなく「この人なら、こういう行動を取るだろうな」と読み手に納得感を持たせる行動を取らせて物語を展開するからトップランナーであり続けるのでしょうね。