木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー

 そういえばこの本、国家としての日本の冷たさと個人としての日本人の優しさの対比が鮮やかだったなあ。

これ、日本からの支援によるベトナム独立を夢見て、結局日本に使い捨てにされたベトナム王族の話なのだけど

インド独立派のシビアな国際情勢認識と対比して(当然インド側は日本の思惑も分かっている)、ベトナム側が悲しいほど無邪気に日本のことを信じているのが王子様だなあ、という感じがしますね。

「白人国家を初めて破った有色人種国家」である日本に寄せられた各国の人々の期待と「日本はずっとアジアの期待を裏切り続けた」という現実のずれ。

 明治期以降の日本については山田風太郎が「警視庁草紙」で書いた

「日本は西洋のために変わらせられた。まあ、むりむたいに女にさせられたようなものじゃ。が、そこで急に手のつけられぬあばずれになろうとしておるーーーと、いうのがわしの見解でもある」

 というのが、まあ当たっているんじゃないのかな?と思っておりまして、この言葉の後こういう会話を続けさせているのが山田風太郎風太郎なんですよねえ。

「『川路さん、しかしな、権謀によってそういう間に合いの国を作ってもーーー目的のために手段をえらばず、たとえ強兵の富国を作ってもーーーこれを毫釐(ごうり)に失するときは差(たが)うに千里を以てすーーーいっておくが、そりゃ長い目で見て、やっぱりいつの日か、必ず日本にとりかえしのつかぬ大不幸をもたらしますぞ』
 川路は鉄塊を投げ出すように答えた。
『国家とは、いつでもそういうものではごわせんか?』」

 インド独立派には、こういう冷徹な視線はあったけど、ベトナムの王族にはなかった。けれど日本国家が「利用価値なし」として飼い殺しにした後捨てたベトナムの王子を市井の日本人は見捨てなかった。

 ベトナムに残してきた妻子のその後を追い求め、フエの郊外に住むクオンデの孫をさがしあてた時、孫の口から

「彼は日本で結婚したと聞きましたが」

 という言葉が出るのが悲しい。「故国を捨て日本に魂を売った男」と家族にも思われてきた男がベトナムに帰れないまま日本でどういう最期を迎えたのか。

「彼の子孫は、貴方達だけです。日本で養子になった方はいましたが結婚したという話は僕は知りません」

 と、伝えた後の反応が、ドキュメンタリー作家らしい文章だなあと思いまして。本当は、この方、本ではなく映画でこの人の半生を描きたかったんじゃないかなあ、という気がしますね。