木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

小説・捨てていく話

FBのブックカバーチャレンジで松谷みよ子さんの「小さいモモちゃん」の表紙が回ってきたので、懐かしいなあと思ったらこれを思い出しました。

 

これは「小さいモモちゃん」をモモちゃんのママの側から見た話。

「小さいモモちゃん」は松谷みよ子さんが娘さんに「私の生まれた頃の話をして」とねだられて生まれた話なのですが、小学生の頃読んだ時、子ども心にも松谷さんの長女の話である「小さいモモちゃん」と家族に次女が加わった頃の話である「モモちゃんとアカネちゃん」では明確な違いがあることは分かっていました。

 だって同じ赤ちゃんの話でも「小さいモモちゃん」には、母を呼ぶ子どもの泣き声で退散する死神なんて出てこなかったですからね。

天真爛漫な「小さなモモちゃん」に比べると「モモちゃんとアカネちゃん」はどことなくトーンが暗いの。

「モモちゃんとアカネちゃん」は日本の児童文学で初めて離婚を描いた作品だそうで、松谷さん自身も書き上げるまでもの凄く時間がかかった作品だと書いていましたね。

「娘に『離婚は恥ずかしいことなの?そうじゃないならに書いて』と言われてモモちゃん達の続きを書き始めたが、始めた時には、こんなに時間がかかる作品になるとは思わなかった」

 

 恥ずかしいとは思ってなくとも、自分の傷と向き合うのはやっぱり時間が必要なんじゃないですかねえ。

「モモちゃんとアカネちゃん」で初めて読んだ時には不思議に思った出来事(「毎日、パパの靴だけが家に帰ってきます。靴だけのパパとどういう風に話をすればいいのでしょう。靴だけのパパに『お風呂に入りますか?』と訊ねるのはバカげています。ママは靴だけのパパをピカピカに磨いた後、ピカピカになったパパに涙を一粒こぼしました」とか「パパは時々お友達と一緒に家に帰ってきます。そういう時のパパは靴だけのパパでなく全部のパパです」)は、大人になって読むとどういう情景かすぐ分かって、あの情景を子どもが理解できる言葉に変換するとこうなるのか、そりゃ時間がかかるわねえ、と松谷さんの才能に惚れ惚れしますね。

 

「モモちゃん」のシリーズでは、美味しいものが好きな熊さんとか、様々な形に変換された友人達がママに「別れろ!」と助言してますが

友人だったらそう言いたくなる気持ちはよく分かる。

自分の理想にどっぷりはまって、その理想を実現させる為の資金は妻におんぶして、それでいて金策に苦労する妻を無視できる女性達に取り巻かれている夫ですよ。

そりゃ友達だったら「あなたと子どもの生活のことだけを考えなさい」と言うわ。こういう「素晴らしい理想を持っているが、現実一緒に生活するとなると苦労する人」は、それだけの苦労をしてもいいと思わせるものをパートナーに持たせないと破綻するよね。

ヤマザキマリさんも「子どもが生まれたことで恋人と別れる決意ができました。彼と子ども、どちらも守って生活することなんて出来ない。ならば私が守るべきなのは子ども。彼は一応大人。この子は私がいないと生きられない」と人間としては魅力的だった恋人について語っていましたね)

 

「人間的には素晴らしいものを持つ、実現能力には疑問符がつく高い理想をもつ男」というのは松谷みよ子さんの夫もヤマザキマリさんの元恋人も共通しているけれど、松谷さんが二人の子どもを抱えて限界まで頑張ったのは、松谷さんが結核患者だったこともあるのかな?

 

今のコロナ禍を見ると想像がつくでしょうが、あの当時の結核病患者に対する扱いは家族でも態度をコロリと変える人が多くて、松谷さんは実母や実姉の態度にけっこう傷ついていたみたいなんですよね。

 当時恋人だった元夫は、療養所まで松谷さんのお見舞いに何度もやって来たようで、「家族ですら一度も来ないのに」と元夫が来た時のことを綴っていましたね。

 

いくら結婚後は、妻に迷惑をかけ続けるダメンズでも、そういう思い出があるとなかなか捨てきれないんじゃないかな。人間の長所と短所は同じものの裏表ということもありますね。

 

 

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