木曜日の本棚

本と本に関することの記録です。

ドキュメント 沖縄戦

一週間限定でリバイバル上映をするので、「ドキュメント沖縄戦」を観てきました。
少し前に「生きろ」という戦中最後の沖縄県知事のドキュメンタリーを観たので、あちらを観たなら、こちらも観ないととなあと思って観たのですが、いやあ辛かったですね。

何が辛かったって、軍に提言を無視されても沖縄県民を守ろうと必死になっていた沖縄県知事沖縄県警察部長の努力がことごとく無駄になっていく様をまざまざと見せつけられることですよ。

県知事は兵庫県出身、県警察部長は栃木県出身で沖縄にはゆかりのない人なのに、赴任を命じられて、与えられた任務を果たそうと、努力し続けて、その結果がこれ。

映画の中で対馬丸の生存者が、どんな風に船が沈没したのか語っていたけれど、県警部長は国から命令も出たし、迫りくる沖縄戦の為に非戦闘員は安全なところに疎開させないと、と渋る沖縄県民を説得してまわったのに、その結果がこれ。

無事九州についた船もあるけど、沖縄戦が始まる前で、まだ軍が自分達を守ってくれると信じていた頃の沖縄県民が船に乗るのを渋るのを仕方ないと思ってしまう証言ですね。
しかも対馬丸を撃沈した潜水艦は、対馬丸が避難船で乗船しているのは子供達、というのを把握したうえで沈めているんですよね。
「生きろ」を見た時、軍の司令官はともかく県知事と警察部長は「死をもって責任をとる」という発想にならなくとも、と思ったけれど「ドキュメント 沖縄戦
を観た後、「沖縄県民に申し訳がたたない」「責務を果たせず内地に帰れない」という発想になるよなあと思いました。
(両名とも最後の消息は不明で、どんな死を迎えたかは分からないので、自決したかどうかははっきりしてはいないのですが)

「ドキュメンタリー沖縄戦沖縄戦を最初から最後まで(米軍の沖縄上陸から 6 月23 日の軍司令部玉砕。その後 8 月 15 日過ぎても続いた日本兵のゲリラ戦まで)通して映しているので
「ああ、この時知事が県民の為に軍を必死で説得しようとしていたんだようなあ」
とか
「ここで軍に振り回されて豪から豪へと沖縄県庁行ったりきたりしてるんだよなあ」
とか
「ここで司令官が無駄な転戦をせずに、素直に投降して停戦協定を結んでいたら沖縄県民の犠牲は少しは減っていたよなあ」
とか、色々と考えてしまいまして。

牛島司令官、自決しているから米軍と停戦協定を結んでいないし。結んでいないだけならまだしも残した文章で
「ゲリラ戦を続けて米軍を足止めしろ」暗に部下達に命じているし。

だから、上官からの戦闘停止命令を受けていない以上、戦いは続けなければいけないと、玉音放送が流れた後も沖縄各地で部下達は戦闘を続けるという意味のないことをしないといけないし。

この映画の中でアメリカ軍が残した資料にも触れられておりまして。
第二次世界大戦中、アメリカ軍が歴史や文化を含め日本を徹底的に研究したという話は有名ですが(ドナルドキーンがアメリカ軍の情報士官だったくらいですものね)、アメリカ軍が沖縄侵攻を決めた理由として(もちろん地政学上の重要拠点だから、ここを抑えないと拙いよね、という認識がアメリカ軍にあったことは当然の前提として)
「日本と沖縄は人種的にも言語的にも同じ文化圏に属するが、日本は沖縄に対して『貧乏な厄介者』という差別意識がある。
だから沖縄で何をしても日本人は文句を言わないだろう」
という文章を記した資料があるそうなんですね。

アメリカ軍は、沖縄を日本の少数民族である、という理解をしていまして。
少数民族の棲む島を日本人は必死に守ろうとしないから落としやすいだろう。
沖縄侵攻中、国際法上問題があるような行為が発生しても少数民族の沖縄人の為に日本人は声をあげることをしないだろうから、アメリカが国際的な非難を浴びることはないだろう、と見透かされているのですね。

ほんとアメリカさんは日本のことをよく研究して理解しているし、日本の危なっかしさって、今でもあまり変わらないのねと思いました。

現在でも米軍基地絡みで政府のやり方に反発する沖縄を軽侮する言葉を見かけたりするけれど、そういう意識って日本でもない、アメリカでもない別の国にとって大層有難いですよねえ。

古事記講座で為政者は男(男性性)、民衆を女(女性性)で語るお話をお聞きしましたが、陸軍の司令官が残された部下達に暗にゲリラ戦を命じたのって、本土決戦を遅らせる為にアメリカ軍を足止めしろという意図だから
(しかもこれ戦力が違い過ぎて無駄な足掻きだという提言が既に出されているし)
他の女を守るために自分を盾として使い捨てにすることを躊躇わない男。
盾とすることを躊躇わないどころか、盾になるよう強制する男を女がどう思うか?という問いの答えが延々続く沖縄人の日本兵に対する恨みとなって出てくるんですねえ。

同じ盾にするのでも
「すまない、おまえ達を盾にして本当にすまない。しかし申し訳ないが、本土を守る為におまえ達に犠牲になってくれ」
と、詫びた男への評価を見れば、同じ盾にするのでも「犠牲になって当然」という態度をとるか、申し訳ないと詫びるのかで大きな違いが出ることが分かりますよねえ。

海軍の司令官、陸軍の司令官に比べて悪く言われないのって、やっぱり大本営に向けて打った最後の電文が効いてますよね。

沖縄県民、かく戦えり。後世、特別の配慮を」

まあ、大田中将の直訴って、あんまり聞きとげられた感はないんですけどね。

そして女は自分を盾とした男のことは忘れないけど、自分の為に命をかけて守ってくれようとした男のことも忘れませんよねえ。
島田県知事も荒井警察部長も今でも評価が高いものな(まあ島田知事は『官吏の鏡』と記録に残るくらい沖縄以外でも評価が高いけど)

それにしてもドキュメント沖縄戦の自決場面を見ると真っ当な大人の存在って大きいですよねえ。
「生きろ」の中で当時十代だった沖縄県の職員が
「国の為に死ぬのが当然だと思っていたのに、どうして『生きろ』って言うんだと思ったけれど、後になって知事が何を言いたかったが分かった」
と県庁解散にあたり自決を命じられなかったことに対して怒りを覚えたことを語っていたけれど、まともな大人ならその後のことも考えますものね。

戦争に負けたとしても人がいる限り国は滅びない。生きている限りリターンマッチはできる。
ただ、そうは教えなかったでしょうね、当時の教育では。

治安維持法が、どんどん拡大解釈されて恣意的な運用が可能になってしまっているから、たとえそういう意図がなかったとしても検挙する側が違反だと咎めたらすぐ逮捕することができる。(実際、美学生が「戦時下に相応しくない絵を描いた」という理由だけで維持法に引っ掛けられていますものね)

そうすると教育する方も「これを教えなさい」と指導されたこと以外を教えるのに消極的になるから、治安維持法成立以前に教育を受けた人とは思考の幅が異なるでしょうね。

治安維持法。あれ内務官僚は廃止したくなくて GHQ 相手に相当抵抗したそうだから、国民を管理するのに便利だと思った層もいたのでしょうね。

国民全員を強制的にイエスマンにしたようなものだから、健全な批判も許されず、方向転換が難しくなって結局国を滅ぼしたようなものだけど。

この映画、先に「生きろ」を観ていたからうまく補完できていたけれど、ナレーションがちょっと感情過多に走っているかな?
私はドキュメンタリーは思想的に偏らない方が好きなので感情は抑えた方が好みです。

まあどんな映画も監督の思想が出るのは当然だし、映像はそんなに偏っていないから許容範囲なんだけど、最後のナレーションのあたりで監督の感情が出過ぎちゃっているかな?
まあ気にならない人は気にならない範囲程度なんですけどね。

それにしてもこの映画、米軍の記録フィルムも多く入っているのですが、カラーフィルムなんですよ。
あの時代に既にカラーで映像を残しているの。

捕虜にして沖縄県民の扱いも、あ、これ日本兵と比較して米軍への悪感情が薄れるよな、という巧みなものだし。
泥沼のイラク、シリアを考えると米国、この時代の方が敗戦統治が上手いんじゃないかな、という印象も受けますね。

okinawasen.com

この沖縄戦NHKのオンデマンドの方でも記録がありますね。無料公開されているということは、「こういうことがあった」ということを知っておいて欲しいということでしょうね。

www.nhk-ondemand.jp