新しい大河に合わせて関連書籍が色々出ておりますね。「炎環」新装版出てるなあ。「相模のもののふたち」とか「つわものの賦」も面白いんだけどなあ、と思いつつこっちも復刻しないかなあ、と思っております。
いや電子版は現在も出ているのだけど、私は本は紙で読みたい人なので。まあ自分では持っているのですが、人に勧める時も紙の方を勧めたいという気分はありますね。
鎌倉時代初期を舞台に親友同士でありながら一人は後鳥羽上皇へ仕え、一人は源実朝に仕えるという異なる世界に生きる二人の青年を主人公とした物語。
主人公達もいいのだけれど、これ脇の人達がいいんですよね。いかにも生まれながらの帝王という感じの後鳥羽上皇。その上皇に
「そう私も会ったことはないが(忠実な臣下としての態度を示すので)、実朝のことは気に入っておる。気に入らないのは、その実朝がお飾りの将軍で、実権を握っているのは母尼御台と叔父、北条義時だということだ」
と言わしめる源実朝。父の死後、どれだけ鎌倉で血が流されたのかを見続けてきたので争いを厭い
「都も鎌倉も仲良くすれば好いのです」
と願う理想家肌の甥に向かってバッサリと
「それは理想です」
と告げ
「あなたの父君が武士は公家の奴隷でないと教えてくださった。その鎌倉を我々は潰すわけにはいかないのです」
と穏やかに現実を突きつける北条義時。そして心優しい理想家ではあるけれど、聡明な人である実朝は叔父の言葉が事実であると認めざるをえないので
「そうですね、叔父上。私の言葉は理想です。全ては母上と叔父上の良きように」
と争いを起こさない為に母と叔父の傀儡であることに甘んじる。そうせざるをえない実朝の哀しみ。自分が兄の血を浴びて地位についた将軍であることを忘れていない実朝の哀しみを近侍である主人公はじっと見ている。
こういう感じに脇の人達それぞれの物語が背景にあって、その中で主人公達の物語が動くので、この本すごく面白いですね。脇の人達、一人一人を主人公にして物語を作れそう。
あ、あと心優しい聡明な人は為政者には向かない。賢い女の恋は涙で終わる、という世の中の人があまり認めたくないことをとても良く理解できる形で描いている物語でもありますね。
いやあ、出来上がったばかりの王朝が存続するには二代目とNo.2が大事というのが良くわかる。実朝の場合は、自分がお飾りであることに甘んじていられる聡明さがあったから良かったけれど、こういう優しくて人の心が分かる人って将軍職には向かないですよねえ。
京方だけでなく鎌倉方だって「自分の利益の為に争うのは恥ではござらんよ」とカラカラ笑う人の方が大半なのだから、冷静で冷酷なNo.2が実権を握っていなかったら、まだ基盤が脆弱な幕府はあっという間に崩壊しますしねえ。
しかし、こういう自分が自我を押し殺しているから世の中が上手く回っていることを理解している男に恋した女は辛い。ずっと実朝の側にいて彼からの言葉を欲しがっていた女性は嫁ぐ為に鎌倉を離れる時に泣き崩れていましたものねえ。
「あの方は私に向かって、幸せになれ、とおっしゃるの。ご自分はちっとも幸せではないのに、私に向かって、幸せになれ、とおっしゃるのよ。私は賢い女だから。利用されるのが嫌で、この恋をずっと隠していたから。もう笑うしかないじゃないのねえ」
まあ、彼女の立場で実朝への恋心なんて示したら父親の権力争いに利用争いに利用されていることは目に見えているし。だから短い言葉でサインのように自分の真意を実朝に告げていたのでしょうけど。
将軍の恋愛は権力闘争いの激化につながり、血を流すことを辞さない家臣団の紛争につながることを兄の例で熟知していた弟がその想いに応えるはずもないですしねえ。
賢い人間同士の恋は悲恋にすらならないんですよね。悲恋というのは恋の情熱が己を縛る枷を破ってしまった時に起きる悲劇だけど、賢すぎる人はそれをした結果何が起きるかまで見えてしまうから無意識に自分を律してしまうのでしょうね。
(そこまで自分を律していても、暗殺されてしまうのですものねえ。実朝暗殺の時は既に近侍を離れていた主人公が旧主の死に叫びを上げるのが分かるわ)
永井路子さんは「歴史というものは一人の人間の行動で流れが決まるのではなく、複数の馬がひく馬車がそれぞれの馬達が相争いながら動かし進むもの」と書いていた気がいたしますが、この話も最後までそういう視点で終わりましたね。